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道化師は啼かない
第5章 邪な嘘
 美津希はそこで初めて新たな色の恐怖を感じて立ち上がった。
 自分が浸かっていた淡い陶酔に氷をかけられたような鉛のごとく重い現実が首に絡みついてきたようだ。
 色白い足がかくかくと震える。
 雨に濡れた服の質量が途端に憑代を得たとでもいうようにのしかかる。
 体を見下ろすと、あまりに弱弱しく見えた。
 瞬きすら忘れて眼に雨水が垂れてくる。
 肌にあたる空気さえ尖ったナイフの刃に思える。

 世界が怖い。

 彼女はそっとハルを見上げた。
 片眉を上げて彼は首を傾げる。
「死にたくなくなった?」
「あ……」
 カツン。
 革靴が一歩。
 コンクリートを砕かんばかりの音を奏でて。
「くく、飛び降りは厭。ね。だったら僕の組織じゃなくて死なせ屋に駆け込めばよかったのに。あそこはネットからでも依頼を受け付けているし、望む死に方を何でも叶えてくれるらしいからね。勿論、痛みもなく、死後の処理を全部請け負ってくれたりもする。けど僕は違う。死にたがりも死にたくないやつも同じ。結局は死ぬんだから。その形式になんてこだわる意味がない。そうでしょ。まあ、何週間も放置された死体は迷惑以外何物でもないからなるべく人目につかない場所で行うにしても、誰かに見つかるように派手にやることが決まりなんだけどね」
 つらつらと。
 流れる水みたいに流暢に。
 美津希は目の前の男が自分とは全く違う生き物だと悟った。
 生きる意味も生きたい理由もなくなったというのに、そんな脆い覚悟なんて打ち砕く言葉だった。
 手を伸ばせば届く距離でハルが立ち止って彼女を見下ろした。
 身長差は十五センチほど。
「無駄話も煩いのも嫌いだけど、一応希望だけは聞いてあげる。どんな死に方がよかった?」
 美津希はその言葉を何度も頭の中で咀嚼して、首を振った。
 眼球に浮いた涙が揺れる。
 瞬きをして、それが地面に吸い込まれるのを見送ってから、まっすぐ答えた。
「なあんか……今考えたらくだらない夢だった気がします」

 だから。
 貴方に任せます。

 そう微笑んだ美津希を抱き寄せキスをすると、胸元をトンと押して彼女を宙に押し出した。
 伸ばした手は何にも触れずにビルの狭間に落ちて行った。
 体感では数秒。
 けどハルの耳に衝撃が響いたのは数分後だった。
 下から吹き上がる風と共に。
 命が途絶えた音。
 鼓膜に粘りつく音。
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