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道化師は啼かない
第6章 不協和音
 反射的に身構えるが、蕗が飛びつきに行ったのでマスターだとわかった。
「おかえりっ、マスター」
「ああ。なんだ、ハル。スカウトでもしてきたのか」
 私とハルを見比べながら冗談のように軽く言う。
 焦って首を振る私のそばを通り過ぎてハルが否定した。
「違いますよ。彼女はちょっと悩み持ちの一般人です。のちのち依頼されそうだから顔合わせだけでもと思っただけで」
「依頼? お前にか? へえ……」
 途端に今までとは違う色の瞳を向けられる。
 フードの暗闇の中の顔は迫力を増して見えた。
 まだ、二十代後半だろうか。
 髭一つない堀の深い顔立ち。
 でも、なんでだろう。
 特徴はたくさんあるのに一瞬でも目をそらすと輪郭さえ忘れてしまう顔だった。
 まるで記憶を残させないことを目的にしているように。
「あ、胡桃と申します。初めまして」
「胡桃。秋の木の実か。いい名前だ。春の蕗の薹に春そのものもここにはいるぞ?」
「さっきその喩えを彼女に使われたところですよ」
 ハルが言いながら苦笑する。

 マスターと呼ばれる男の話によると、孤児であるハルと蕗の父親代わりであるらしいこと、この喫茶店の上階がマスターの家、敷いてはこの三人の居住空間になっており、元々安く買い取ったビルに付属的についてきたこの喫茶店は経営というよりも家族がくつろぐリビング代わりに使われているということがわかった。
 話を聞き終えて頭で整理している私の隣に座ったハルが救急箱をドンと置いて怪我の手当てを始めた。
「あっ。そういえば、傷! 大丈夫なの!?」
「平気ですよ、このくらい。全部当たったふりしただけですし」
「ふり!?」
 あんなに殴られていたのに。
 切れた口元を消毒ガーゼで拭いながらハルが小さくうなずく。
「抵抗すると長引いて面倒ですからね。かといって僕が手を出すと加減できなくて怪我じゃ済まなくなるでしょうし」
「貴方、強いの?」
 失礼な言い方だったかもしれないが、ハルは表情を変えなかった。
「強い、とは違いますね。たとえば……剣道を知らない人間が竹刀をかざして襲ってきたら経験者はどうすると思います? まともに弾いて相手の脳天を打ちにいけば確実に被害者から加害者に変わる。けれどやり方が別物だからまともにやりあってもデメリットしか生まない。だったらやられたふりをするのが一番早くて合理的だと思いません?」
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