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道化師は啼かない
第2章 少女の秘密
 ヒールの爪先をくいくい上げたり下げたり。
 たまにマスクの蒸気を指で押し上げて逃がして。
 睫毛についたゴミを摘まんで。
 心の中で問いかける。
「まだ、やな予感はしてる?」
 道化がぐっと唇を噛みしめる。
 乗客の中に不審な人物は見られない。
 周囲に人はいないし、電車の雰囲気も異常はない。
 でも、なんだろう。
 この肌が不快な感じは。
 鞄を体に引き寄せ、息を潜める。
「麗奈。昔話をするね」
 突然道化が言ったから、私は誰もいないはずなのに顔を上げた。
 向こう側のガラスに彼女が映っていた。
 こくりと頷く。
 声は、マスクの中で、自分にしか聞こえない大きさ。
「とある都会に仲の良い姉弟がいたの。姉は弟が生まれた時から片時も離れずに世話をして、弟も彼女を慕っていた」
 電車がカーブに差し掛かる。
 轟音を立てながら。
 それでも私にはしっかり声は届いてる。
「両親はその子たちとは対照的に、どんどん険悪になっていってね。姉の方はそれに気づいていて、でも止められなかった。そのうちどうしようもないストレスから子供に暴力をふるうようになって、姉はいつでも弟を庇って痣だらけだった」
 淡々と。
 朗読でもするような調子。
「二人ともそんな生活から抜け出したくて、少ないお小遣いを貯めて、家を出ることにしたの。その時はまだ小学生だった」
 脳裏に鮮明に浮かんだ二人の子どもは、道化の記憶なんだろうか。
 手を繋いで、途方に暮れた幼い背中。
「でも、二人は余りに小さくて、生活する方法なんてわからなくてね。そのうち、姉の方が悪い奴等に攫われてしまった。まだ、十二歳だったのに。女の体にすらなってなかったというのに」
 彼女の声が震える。
 ガラスに映る瞳が濡れていた。
「弟はそれから必死で姉を探したんだろうね。見つけた時は、姉は裸でボロボロだった。それでも無理して笑って、弟に大丈夫って言い聞かせたの。でも……彼の心は閉ざされたままで、姉の復讐に囚われてしまったんだろうね」
 前触れもなく映像が目の前に現れる。
 少女の叫び声と、何かを殴り続ける音。
 男のうめき声。
 絶叫。
 水溜りを踏む音。
 投げ捨てられた鉄パイプ。
 べったりとついていた液体は、赤く、黒く。
「姉には弟を止められなかった。逆に目を見開いて、その現場を見なければと思った。将来、罪を償うために。でも……」
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