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道化師は啼かない
第7章 人形はどちら
 水鶏はおどおどと後ずさる。
 おそらく彼女の意志で足を動かして。
「ねえ。貴方が会いたかった男って、本当にあの人なの?」
 目の前の細身の男を指さして、不安そうに尋ねる。
「そう。だから、そろそろ躰を私に譲ってよ」
「え?」
 声色の変わったもう一人の自分に一瞬にして主導権を奪われる。
 視界が消え、感覚がなくなり、叫びさえもかき消される。
 闇の中に引きずり込まれて。
 無数の手に。
 タン。
 よろめいた彼女が力強く足で留まる。
 それを見つめるハルの眼は漆黒に揺れていた。
 哀れなものを見るように。
 何度めだろう。
 ハルは思い返す。
 こうして、彼女が少女を殺すのを見るのは。
 最後の足掻きでこうしてふらつくものの、次に顔を上げるときにはもう少女はいないものになっている。
 ぞくぞくする。
 ハルは唇を歪めた。
 本当に狂ってるよ。
 八年前からアリスはウサギを殺しながら歩いて帽子屋に追われてる。
 さながらそれを把握しているマスターはチャシャ猫。
 さあさあ。
 お茶会に向かって狂った鬼ごっこ。
 けど、おかしいな。
 鬼はどっちだ。
 チャシャ猫が歌ってる。
 さあさあ。
 鬼はどっちだ。
「ふふ……ふふふ。今回の子はホント面倒だったわ。でもこうして貴方に会いに来れただけ良かったってことかしらね」
 紫の瞳同士が視線をぶつからせる。
 ハルは縁の細いメガネを外し、床に落とした。
 前髪を右手で掻き上げ、闇に慣れた視界ではっきりと彼女を捉える。
「早い再会だね」
「あの時計台の広場で、もう気づいていたもの。貴方もそうでしょうけど。あの女子高生の死体の向こうで、こっちを見て笑ってた。だから急いだのよ。この子結構いろいろ執着が多かったから、身体を明け渡してくれなくて」
「五月蠅いよ」
「今回は話しすぎね」
 二人は瞬きせずに互いを見つめて言葉を交わした。
 ハルが歩み寄る。
 だが水鶏は動かない。
 挑発的な目で、ただハルを待っていた。
 そこに大人しい優等生の女池水鶏の雰囲気は微塵にも感じられない。
 それもいつものこと。
 なのに、なんだ。
 ハルは肌にざわつく奇妙な空気の流れを測りかねていた。
 直樹が近くにいるのか。
 いや、こんな気配じゃない。
 マスターでもない。
 なんだ。
 水鶏は気づいていない。
 この空間に存在する二人の少女を。
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