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ピアノ
第2章 恋
恩師のところには才能溢れる若者が多数押し掛けて来る。
その中で幸一を特に選んだ訳ではなく、離婚した啓子のことを心配して、生徒の内から一人を啓子のところに振り分けただけだが、気遣う恩師の心は涙が出るほどありがたい。

しかし、啓子の心は複雑だった。

音を聞き分ける耳、豊かな創造性、良い原石であることは確かだけれど、そんな子は幾らでもいる。この私だってそうだった。誰でもプロになれる訳じゃないのよ。

離婚で心が荒んでいた啓子は、その子を育てようなどという気持ちは微塵もなく、それよりも、自分がなれなかったピアニストを目指す15歳の男の子に嫉妬し、意地悪したくなった。

高校進学が決まった3月から、幸一は啓子のところに通ってきた。

最初は苛めだった。
啓子は些細なことでも口やかましく注意し、時には感情的に怒ったりしたが、彼はへこたれなかった。特にピアノの演奏については、執拗に注文を付けたが、次のレッスンには完璧に直して、「先生、どうですか?」とニッコリと微笑むのが常だった。

それを幸一は苛めとも意地悪とも思わなかった。

「幸一君の先生って、どんな人?」
ピアノを習っている同級生の葉山(はやま)弥生(やよい)から聞かれたことがあった。
「あ、うん、よくは知らないけど、音楽大学の大学院を卒業したって聞いたけど」
幸一はこう答えたが、傍で聞いていた、これもピアノを習っている同級生の女の子が、「弥生ちゃん、知らないの?水元啓子さんといって、何度もコンテストに入賞して、ピアニストになる筈だったけど、結婚して、ピアノの先生になったんだって。私の先生が教えてくれたわ」と割り込んできた。
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