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残り火
第2章 火曜日
 すみません、ここで降ります。

 あのとき、なぜそう言ったのか、
よく覚えていない。
腹が立っていたのは事実だけど、
なぜ腹が立ったのか判然としない。
初対面の男が結婚指輪をしていたから、
って理由はあまりにも理不尽だし、
雨は少しずつ強くなっていたし、
まだ自宅までは距離があった。

 降ります。止めてください。

 それでも私は、
とにかくその空間から逃げ出したかった。
胸が苦しくて、酸素が足りずに溺れそうだった。
俊郎は狼狽えたように、どうしました、とか、
大丈夫ですか、とか言っていたように思う。
タクシーが路肩に停車し、
ドアが開くのが待ちきれずに自分で開けて、
外に飛び出した。
待って、という声が背後で聞こえたけど無視した。
追いかけてこられそうな気がして、
急いで早足でその場から離れたくせに、
振り返っても追いかけてこないことに無性に腹が立った。
新鮮な空気をいくら吸っても、
胸の苦しさは増すばかりだった。
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