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波の音が聞こえる場所で
第5章 湯口の上の狸に独り言をぶちかましてやる
 僕は目を瞑って山水旅館の庭を思う。春が訪れ草木が芽吹く、盛夏に負けずに咲く夏の草花。秋は葉が色を変え、その役割を終えるとひっそりと地面に落下して小さな絨毯を作る。冬……この辺りはどのくらい雪が降るのだろうか。灯篭の灯りが厳しい寒さを耐えている草木の星となる。
 病床六尺……。僕ごときが子規の境地に達するのは永遠に無理だ。それどころかその領域に近づくことすらできないだろう。まずもってそれを考えるなんてことがそもそも無謀なのだ。でも僕はやり遂げる。逃走を冒険にするために、僕は僕の歩むべき道を進んでいく。
 じんわりと体の芯から温まっていくのがわかる。逃げなければ僕は山水旅館の庭を見ることなんかなかっただろう。逃走したからこそ僕はこの温泉に巡り合った。
 簔口さんや吉田君、そしてせつこさん。風呂から上がったらせつこさんにもらったビタミンCをいただこう。僕のために入浴時間を早めてくれた山水旅館の御主人。庭の手入れをされている旅館のスタッフの方々。
 僕は湯の中で両手を合わせて感謝した。
「ありがとうございます」
 僕は人生で初めて本当の「ありがとう」と言った。
 幸せなんて人それぞれだ。ただ温泉は、湯に浸かる人間に等しく幸せを与えている。その幸せをどう受け止めるか、それは一人一人の人間の問題だ。
 もう一度僕は言う。
「よっしゃー!」
 やばい、僕の幸せは僕に副産物を添えてきた。死ぬほど眠い。目を閉じて十秒、いや十秒も必要ないかもしれない。数秒目を瞑れば僕は確実に爆睡する。ここで爆睡なんてしようものなら、明日、新潟県の早朝に配られる新聞に僕の名前が出ることになるだろう。
 例えばこんな感じで。
【昨日午前九時○○分頃、弥彦温泉山水旅館風呂場にて、東京都出身の大学生(辛うじて僕はまだ大学生だ)坂口翔君(敬称が略されているかも)が入浴中うっかり(この表現は記者次第)眠ったために風呂の中で溺れ意識不明の状態のところ旅館の従業員によって発見されました。その後病院に搬送されましたが死亡が確認されました】
 こんな記事は絶対に阻止しなければいけない。僕は逃走者だが、死のうなんて思っていない。それに仮に風呂場で死んでしまったら山水旅館に多大な迷惑をかけることになる。こんな無様な死に方なんて僕は嫌だ。死んでも死にきれないとは正にこのことだと思う。
 対策を練る。
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