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石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
第12章 第三話・参
 お民は岩次にだけは、事の真相を伝えておいた。家に源治への書き置きを残してゆくから、良人がもし訪ねてきたら、事の次第を伝えて欲しいとも。
 現(うつつ)に戻った時、お民は既に周囲に薄闇が這い寄る時刻だと知った。
 春の陽が落ちるのは早い。お民は灯りもつけずに部屋の片隅で膝を抱えて座り込んでいたのだ。
 お民はそのまま三和土に降り、草履を突っかける。
 一歩外に出ると、十三夜の月が淡い光を地上に投げかけていた。琥珀色の円い月がやけに近く、大きく迫って見える。
 冴え冴えとした月光が白い夜道を濡らしていた。お民は、しばらく立ち止まって月を眺めていた。
 ふいに夜風に紛れた花の香りが漂ってきた。奥底に眠る官能を呼び覚ますような妖しい香りに導かれるように、走り出す。
 この匂いは多分、沈丁花。
 恐らくは、鳴戸屋の庭先から流れてくるものに相違ない。あそこの庭は四季の花であれば、何でも揃っていると謳われているほどだ。先々代の主人が金にあかして贅を凝らした庭園を造ったのが始まりで、下手な大名屋敷の庭よりも見事だと噂に聞いたことがある。
 そういえば、と、お民は今更ながらに去年の秋のことを思い出していた。
 龍之助が水戸部邦親に連れてゆかれたあの日も、鳴戸屋の庭には金木犀が咲き誇り、甘い芳香がお民の暮らす徳平店界隈まで流れてきた。
 龍之助を夢中になって追いかけながら、お民はそれが徒労であることに気付いた。その時、我に返ったお民は鳴戸屋の前に立っていて、鳴戸屋の庭で咲き誇る金木犀の香りがいっそう強く匂ってきた―。
 今また松之助が連れ去られたこの夜、同じ庭に咲く花の香りをこうして感じるのも何かのめぐりあわせなのか。
 いずれにしても、他人の宿命(さだめ)を弄ぶことにいささかの躊躇いも感じない者たちによって、お民は大切な子を一度ならず二度まで奪われた。そのせいで、龍之助は二歳の生命を散らしたのだ。
 許せない。お民の中で怒りの焔が燃え上がる。
―お前さん、松之助だけは絶対にあの人たちの思いどおりにはさせません。きっと、私がこの手で奪い返してきます。
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