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石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
第5章 伍
眼の前で大きくそそり立つ門の両扉が軋んだ音を立てて閉まった。
お民はそれでも精一杯の想いを込めて石澤家の屋敷に、その屋敷の中にいるであろう人々に小さく頭を下げた。
お民が旗本石澤嘉門の屋敷から八ヵ月ぶりに出てきたのは、その年の十月初めの朝であった。長かった暑い夏も終わり、江戸に秋の風が経つ頃になっていた。
徳平店を出たのはまだ紅梅の咲き匂う早春だったのに、知らぬ間に季節はうつろい、いつしか山々が澄んだ大気にくっきりと立ち上がって見える秋になっている。
お民は今、また、来たときと同じように一人となってこの屋敷を出てゆこうとしている。
結局、子は生まれなかった。
ひと月余り前の晩夏の宵、お民は大量の出血をきたし、腹の赤児は血と共に流れた。胎児は世嗣となるべき男児であったため、祥月院以下、石澤家に古くから仕える家臣一同、地団駄踏んで悔しがったという。
父親である当の嘉門は、子が流れたとの知らせを受け取ると、〝そうか〟とただひと言呟いただけで、過剰な反応は全くなかった。
ただ、それ以降、嘉門はますます無口になり、自室に閉じこもりきりになることが多くなった。昼夜を問わず、酒を呑み、虚ろな眼をして座っているそうだ。
嘉門がお民を屋敷から出すと言ったのは、お民が流産した数日後のことであった。
祥月院などはかえって、
―あの女は殿の御子を、しかも若君を懐妊していたのですよ。あの若さであれば、直に身体も回復し、すぐにでもまた、子を孕めましょう。暇(いとま)を出すなぞと仰せにならず、今までどおり、お傍に置いてお閨に召して夜伽をおさせなさいませ。
と進言した。
しかし、いくら祥月院が翻意させようとしてみても、嘉門は首を縦に振らなかった。
にも拘わらず、お民がそれからひと月以上も放免されなかったのは、お民自身が流産後の肥立ちが思わしくなかったせいもあった。
一度にあまりに大量の血を失ったため、お民は一時は意識を失い生死の淵をさまよった。助かったのは奇蹟的で、よほどの御仏の加護があったに相違ない―と、医者は真顔で言った。腹の子だけではなくお民まで生命を落としていたとしても何の不思議もなかったのだ。
お民はそれでも精一杯の想いを込めて石澤家の屋敷に、その屋敷の中にいるであろう人々に小さく頭を下げた。
お民が旗本石澤嘉門の屋敷から八ヵ月ぶりに出てきたのは、その年の十月初めの朝であった。長かった暑い夏も終わり、江戸に秋の風が経つ頃になっていた。
徳平店を出たのはまだ紅梅の咲き匂う早春だったのに、知らぬ間に季節はうつろい、いつしか山々が澄んだ大気にくっきりと立ち上がって見える秋になっている。
お民は今、また、来たときと同じように一人となってこの屋敷を出てゆこうとしている。
結局、子は生まれなかった。
ひと月余り前の晩夏の宵、お民は大量の出血をきたし、腹の赤児は血と共に流れた。胎児は世嗣となるべき男児であったため、祥月院以下、石澤家に古くから仕える家臣一同、地団駄踏んで悔しがったという。
父親である当の嘉門は、子が流れたとの知らせを受け取ると、〝そうか〟とただひと言呟いただけで、過剰な反応は全くなかった。
ただ、それ以降、嘉門はますます無口になり、自室に閉じこもりきりになることが多くなった。昼夜を問わず、酒を呑み、虚ろな眼をして座っているそうだ。
嘉門がお民を屋敷から出すと言ったのは、お民が流産した数日後のことであった。
祥月院などはかえって、
―あの女は殿の御子を、しかも若君を懐妊していたのですよ。あの若さであれば、直に身体も回復し、すぐにでもまた、子を孕めましょう。暇(いとま)を出すなぞと仰せにならず、今までどおり、お傍に置いてお閨に召して夜伽をおさせなさいませ。
と進言した。
しかし、いくら祥月院が翻意させようとしてみても、嘉門は首を縦に振らなかった。
にも拘わらず、お民がそれからひと月以上も放免されなかったのは、お民自身が流産後の肥立ちが思わしくなかったせいもあった。
一度にあまりに大量の血を失ったため、お民は一時は意識を失い生死の淵をさまよった。助かったのは奇蹟的で、よほどの御仏の加護があったに相違ない―と、医者は真顔で言った。腹の子だけではなくお民まで生命を落としていたとしても何の不思議もなかったのだ。