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自由という欠落
第5章 始まりの同義語は多分
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生徒らがまばらになった夏休み、まったりと職務をこなした八月の夜、陽子はまひるを自宅に招いた。
気分が良かったのかも知れない。
今日、勤務していた教員達は、多くが他人の評判だの風聞だのに比較的無頓着な、若手の顔触れだった。陽子も、胸が圧迫される鈍痛に脅かされながらの就業時間を免れた。
陽子の夏季休暇中の仕事など、雑用やら緊急時に駆け込んできた生徒の対応やらくらいだ。体力は有り余っている。気力ともに余裕があって、手の込んだ夕飯でも作ろうという気になったのである。
「部屋、綺麗ですね。さすが先生」
「辛気臭いって言ってくれて良いわよ。心陽に言われ慣れているから」
「何ですか、それ。心陽、きっとお姉さんの困った顔が見てみたかっただけですって」
茶やグレー、ベージュが多くを占めた背景を背負って、まひるが屈託なく笑った。
貶したのではなかったらしい。
先日も佳乃が指摘した通り、卑屈は、いつの間にやら陽子の中で、あまりに大きく成長したのか。
その昔、まひるとは同じ学校で、生徒としておりふし顔を合わせていたのが嘘のようだ。
精巧に作られたドールを彷彿とする顔に、くすんだピンクの長い髪。無駄な肉づきのない、それでいてまろみを備えた肉体には、パステルカラーの皇子服。まひるを形成している一つ一つが非現実的で、そのくせ生身の彼女に馴染んでいる。
陽子の記憶の彼方のまひるも、どこか現実を遠ざかっていた。凡庸だった陽子のかつての二十三年間を、忽ちにして彩った少女だ。絵物語を抜け出てきたごとくの見目の少女は、五年前も、陽子にうつつの絵物語を見せていた。
「陽子さんって、冷やし中華にたまご入れないんですね」
きゅうりをスライスしていると、後方から聴き親しんだメゾがかかった。
いつまでも耳に染ませていたい、甘い声だ。鼓膜の奥から呼び水を受けて、顫える部分を濡らしてしまいたい。