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自由という欠落
第5章 始まりの同義語は多分
きゅうりに続いてもやし、ハム、と、陽子は冷やし中華の具を切っていく。
味噌汁が沸騰していた。味を見る。その出来の良さに、思わず溜め息がこぼれた。自分の成果に肯定的な感情を見出したのは、いつ振りか。
「まひるちゃんがたまご苦手なこと、覚えてたんだ」
「陽子さんに言いましたっけ」
「っ、……」
しまった、と、にわかに背筋に冷や水が伝った思いがした。
まひるの位置から、陽子の顔は見えない。不幸中の幸いだ。
校則違反とは無縁だったまひるが、まだ髪を黒くしていた時分、陽子は彼女を遠目に見つめていたことがあった。陽子のクラスの生徒の一人が、まひるを可愛がっていたからだ。
二人だけの空間だった。そこに異物は存在してはいけなかった。穢されてはいけない、甘く優しい空間だった。
学年の違う彼女達は、よく裏庭の隅で、昼餉を共にしていた。グラウンドに生徒らのいない昼休みは、耳を澄ませば二人の会話は、途切れ途切れに陽子の耳に拾えたものだ。
「…………」
「うーん、言ったのかな。よく分かんないかも。苦手なのは、ゆでたまごだけです。原型失っていたら、むしろ好き」
「そうだったんだ、今度から覚えておかなくちゃね」
まひるが陽子に気を遣ったのかは、分からない。
お陰で陽子は、ひとまずこの場は愁眉を開いた。
初めて部屋に招いた生徒は、陽子の料理を褒め称えた。
冷やし中華に、味噌汁、ごぼうと人参の胡麻和え。飲み物は市販のアイスティー。
まひるはそれらの一つ一つに、女子であれば、否、彼女が異性愛者であれば男子であっても、歓喜を招く感想を述べて、舌鼓を鳴らしていく。卒業して四年も経つ生徒を、果たして生徒と呼べるかはともかく、佳乃を除く年下の女が、これほど陽子に肯定的な意見を述べるのは、久しい。やはり今夜は気分が良い。
「まひるちゃんって、褒めるの上手いね。作った甲斐が報われるっていうか、私ももう少し会話が上手ければ、誰かを喜ばせられたかな」
「私、会話上手い方じゃないです」
「そう?そりゃあ、……」
「え?」
「…………」
何でもないわ、と、陽子は麺を箸に絡ませる。
這入り込んで良い事柄と、掘り起こすべからず来し方がある。