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自由という欠落
第5章 始まりの同義語は多分

 陽子の知るまひるは、話しやすい類の生徒ではなかった。現実を逸脱した天上のもの、無垢なもの。そこにいるかいないかも甄別し難い、危うく、それでいて確実に愛を注がれるべきものを秘めていた。


「根暗だったって言ってくれて、良いんですよ」

「あら、さっきの言い返し?」

「どう思います?」


 陽子はまひるにつられて笑った。頰が自ずと綻んだ。


 こうも幸福で良いのだろうか。こうも救われて良いはずがない。

 だのに、佳乃もまひるも握った今を突き放せない。


 こうしてまひると会っていること自体、陽子は佳乃に背いている。まひるを救えないこと自体、陽子は彼女をもてあそんでいる。こうも自分は誰を喜ばせることも出来ないのに、周囲は陽子にあらゆるものを与えようとするのか。…………



 テーブルに並んだ皿が、空になった。とりとめない会話は尽きない。それでいて陽子もまひるも、胸の内で必要としている話題は常に避けて通ってる。睦まやかに過ごしていても、互いに知悉しまいと怯えている。


「まひるちゃん」

「…………」

「私は、まひるちゃんに幸せになって欲しい」

「…………」

「好きな人と一緒になるとか、毎日笑って過ごすとか、そういう幸せじゃない。ただ後ろばかり見てないで、自分のこと、応援してあげられる貴女でいて欲しい」


 ゴールデンウィークの旅先で、陽子は佳乃が心陽をお節介した副産物の時間の中で、まひると数時間を共に過ごした。深夜の凄寥、昼間あまりに明るく振る舞う美少女は、陽子の傍らで泣いていた。か弱かった十四歳の夏の日と同様、心細げに、今でも彼女はどうしようもないものをもっぱら呪って生きている。

 陽子の指が、まひるの指先に触れた。黒目を動かしたまひるの視線が、扇情的に陽子を捉える。


「幸せになんか、なれません」

「…………」

「だって、何にも得られないから。私には」



 何かを得た分、喪失の罪過が嵩ばるだけだ。弁えているはずなのに。



 陽子はまひるの肩を抱く。花の匂いが香るような少女の身体は、陽子の腕には儚すぎる。


 リボンやレースに華やぐ衣装をまとったドールの唇を、キスで塞ぐ。柔らかな質感は淡雪のように甘く、ようやっと人肌の味が掠めた。







第5章 始まりの同義語は多分──完──
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