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自由という欠落
第6章 もつれていく
* * * * * * *
夏季休暇が明けて、登下校中の街の眺めも、ふつくに色を変えていた。
そこはかとなく感傷的な情緒たなびく長月の暮れ、心陽は中等部からの交流を持つ香菜に連れられて、声楽部を訪ねていた。
心陽の少なくはない友人達は、このところ、一ヶ月余り先に控えた学祭の準備に勤しんでいる。何かしらの団体に属している彼女らに引き換え、大学部でも帰宅部に腰を据えた心陽はこの時期、講義を受けるためだけの学校と家とを往復するだけの日々を余儀なくされていたのである。
再来月の学祭で、声楽部は、歌のステージとカフェを融合させた教室発表を企画しているらしい。
声楽部員らは初対面の心陽を快く歓迎して、斉唱を披露した。
どこかカビ臭い、それでいて懐かしい感じのある部室は、しんとしていた。
伴奏者が腰を下ろすと、ピアノの音色が誘導部を奏で始めた。楽しげにせせらぐ静水に舞い落ちる花びらのような歌声が、軽らかな響きを連れて重なっていく。見事に調和した合唱は、旋律が盛り上がるに連れて何重かのパートに分かれて、奥ゆきを広げる。
歌声は、さしずめ楽器の音色になった。人間の声というものに極限があるとすれば、彼女らは得も言われぬ音の領域へ続く門に至っているのかも知れない。心陽は、おそらくイタリア語の歌詞が描く劇的な波に揉まれて、ふとゴールデンウィークを想起した。
新緑の匂う初夏の夜半、佳乃が心陽に世話を焼いて、のはなと深夜のカラオケに繰り出した。…………
何を主題に歌っているか、心陽には理解し難い。イタリア語を嗜んでいないなりに、時に天上にも届いていかんばかりに高らかになる声の美術から、彼女らの積み上げてきた練習量が伺える。のはなも声楽の経験がある。実際、彼女の声は凛と透き通るような安定感を備えていて、邦楽の歌唱も垢抜けていた。
楽曲は佳境を通過した。
生の斉唱、演奏は、じかに心陽の細胞に働きかけた。曲が終わって数秒、余波が耳に残っていた。