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自由という欠落
第6章 もつれていく
校舎の鉄筋を伝うようにして、どこかの賑わいが差し響いてくる螺旋階段の踊り場で、のはなはゆきと主従の場面を確認していた。
ゆきの演じるエミリアは、主人公を陥穽に陥れた首謀者の配偶者だ。ただし、彼女は良人の陰謀を知らない。あるじのデズデモーナの善良な世話役であり、良好な話し相手である。
終始、篤実で働き者の身性を全面に出していたエミリアは、オセローがデズデモーナを侮辱した夜、初めて無邪気な素顔を現す。
演じるという行為そのものを楽しむ具合のゆきの芝居が、このシーンでは特に際立つ。蝶のように身を翻して、みずみずしい顔かたちに造形された人形のごとく表情を弾ませる、ゆき扮するエミリアは、デズデモーナのしかつめらしさを一笑に付す。
彼女は、女の心変わりはパートナーの落ち度所以だと主張する。もとより男の目移りは、女のそれより野性的だ。
女が贅沢で意思の弱い、気まぐれな生き物であったとする。それも男のせいである。男もあらゆる欲に負けて、意思も弱く、時に気まぐれから女を殴る。女の小遣いを減らしてまで、道楽にかまける男もいる。
人間の弱性は仕方がない。ただし、男が許容される事柄は、女も許されるべきなのだ。
「『女がおとなしいからと言って、当たり前になっているのです。そうした悪習が、稀に現れるまともな女を迫害する。正直なだけの女は、おとなしくないという性質を備えてしまったために、マイノリティー特有の不当を押しつけられるのです。世間の男達に教えてやるべきです。女も、お前達と同じように感じるのだと。目もあるし、鼻もある。酸いも甘いも分かるのだ、と』…………」
「…………」
デズデモーナとエミリアの最後のかけあいが終わった。
事実、作中における今生で、二人の対峙はこれが最後だ。前時代的な精神に固められた令嬢に、博学な侍女の戯言は、理解し難かったのだ。
のはなにも、こう親身になってくれる女がいれば、何か変えられていたろうか。限りある光を養分にして、とこしえの晦冥を妙諦しながら、日々を送らずに済んだろうか。