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自由という欠落
第7章 必要のないもの





「部屋、あたたかーい。あ、はなちゃん、コート預かる」

「有り難う」

「のはな、はい、クッション」

「有り難う」


 機材でやや乾燥した個室は、先客の設定したエアコンが良い塩梅に温めていた。

 カフェ使いに入った個室で、スクリーンに流れるコマーシャルをBGMに、三人はしばらく雑談に興じた。心陽は提案した手前、適当なところで曲を予約した。流行りのアイドルソングは、まひるも聴いたことのある新しいものだ。続いてのはなが歌劇団の楽曲を選んだ。声楽の発声、それでいて凛と芯の通ったソプラノは、軽快に旋律をなぞっていく。のはなの歌唱は、まひると心陽を著しく集中させた。

 二ヶ月前を思い出す。あの時ものはなは姫君の姿をとって、姫君の役を演じていた。まひるにとって、のはなは姫君同然だ。本人は嫌がるから口にしない、まひるとてのはなの生い立ちだけで彼女を姫君と判断しているのではなく、のはなのまとう雰囲気が、いかにしても目を細めないではいられなくなる。



 伴奏が尻窄まりになって消えると、のはなはマイクを置いて部屋を出た。化粧室へ行くと言い残していった。



「まひる」


 心陽がまひるに膝を寄せた。彼女にしては遠慮がちな、それでいてのはなが帰ってくるまでに済ませるべく用件でも抱えている面持ちだ。


「はなちゃんって、婚約者いるの?」


 まひるは頷く。知ってたんだ、と言い添えた。
 隠しても仕方ない。心陽のためにつける嘘はない。


「あのさ、また、今夜LINEする。お姉ちゃんのことで話が」

「陽子さんに何かあったの?」


「暮橋紬さんっていう人のこと。……お姉ちゃんが、あんな風になっちゃった原因の人」



 目の前を、黒より暗い簾が降りた。底知れない魔物の手が心臓を握った感覚。鼓動が抉り出されたなら、けだしこうした衝撃に喘ぐのだろう。刹那停止したまひるの思考を追いかけて、心音が五月蝿く胸をなじる。


 何故、心陽が紬を知っているのだ。


 扉が開くと、のはなが蝶の舞うような足どりで席に戻ってきた。心陽はのはなの席を離れて定位置に着いた。



 二時間が永遠のように感じられた。空気の渇きを理由にして、まひるはマイクも握れなかった。


 代わりに、何度、のはなに手を伸ばしかけたことか。…………
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