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自由という欠落
第9章 仕掛けのない平凡
* * * * * * *
「昔の先生として、これからも仲良くして下さい」
「のはなさんと付き合うの?安心したわ」
仮に陽子が交際していた相手であれば、この潔いまでに後腐れのない返答は、別れ話の成功例になったろう。
と同時に、身許も経歴も知れている陽子のような相手には、適当な返事も出来ない。
巣立つ雛を祝福する親鳥の目をした陽子の見当を、まひるは否定した。
のはなの将来に寄り添えない。彼女を西原には任せられないが、さりとてまひるが受け入れるのは違う。
「のはなを幸せに出来るくらいなら、先輩とちゃんと向き合えていました」
陽子が教職員という人種に過ぎなかった時分、まひるはこの上なかったまでに、紬に想いを寄せていた。思春期の少女ながら、全てを賭けていた。あの頃のまひるの精一杯だった。
あの頃からどこが変わったか。まひる自身は変わっていない。従って、四年前のままのまひるが他の誰かに傾倒したとして、与えられるものには限りがある。
陽子は、数字や記号の羅列したプリント用紙に、赤ペンを走らせていた。残業を持ち帰って、卒業生の世話まで焼く熱血教師は、処世術に少し難があるだけで、相応の評価を得られない。彼女を公平な目で見られるのは、佳乃くらいだ。
「ご飯、どうする?カフェでも行こうか」
「陽子さん忙しいでしょ。ありあわせで何か作ります」
「有り難う、とても魅力的な話だけど、心陽が来たらまた五月蝿いわ。健全に外食にしましょ」
陽子はボールペンをポーチに仕舞った。
いつの間にか、採点済みのプリントの方が厚みを増していた。
部屋着からカジュアルなセットアップに着替えて、陽子はドレッサーの引き出しを開けた。彼女が選んだのは、淡い薄紅のジルコニアが薔薇を象ったトップのネックレス。ボレロの色について意見を求めた陽子に、まひるは光沢のあるボアのネイビーを指した。幅広のフリルが襟ぐりからバックスタイルまでを一周したライラックのボレロという、陽子にしては極めて愛らしい方に目が惹かれたが、今は底冷えだ。
鏡を覗いてコーディネートを見直して、子供のような目でルージュを選ぶ。近くのカフェに行くだけなのに、休日の朝のように支度を進める陽子の背を眺めていると、まひるは、教師も所詮ありふれた女なのだと身に染みた。