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自由という欠落
第9章 仕掛けのない平凡
「私は、幸せって、定義を持たないものだと思う。数学教師の苦手分野」
年始に心陽が歌っていた感じの、流行りのJ-POPが流れる店内で、陽子はフォークにナポリタンを巻きつけながら、世間話でもする口調で口を開いた。
まひるは頷いて、ドリアを掬う。チーズがとろけたての内に味わいたいのに、火傷が怖くて口に運べない。そっと息を吹きかける。
「前に私はまひるちゃんに幸せになるべきとは言ったけれど、それがどういうかたちかははっきりしない。それでもポジティブには考えているわ。まひるちゃんも、私みたいに少しくらい適当になるべきじゃない?」
「私は適当です。陽子さんと同じで、分かってないし」
「分かってなくても、のはなさんの幸せは願うのよね」
「…………」
当然だ。
まひるには、確かに幸せだと確信出来た時分があった。それが幻とも知らないで、与えられるだけ与えられていた日々。
のはなは知らない。真綿を編んだ牢獄で、おそらく出逢うべき誰かと出逢う前に、自然に反した方法で、馴れ初めから交際、肉体関係まで経験した。彼女が輝いて見えるのは、周囲だけだ。実際は、洗えもしない流した血を、誰の目にも触れられないで腐朽させて、逃げ道さえ諦念している。
ドリアは、まろやかなクリームの中にとろりとしたトマトが入っていた。甘ったるいばかりの中に、キレの良い酸味。
現実も、酸いや甘いが目に見えていれば良いのにと思う。
「社長令嬢も、ただの平凡な女なんだわ」
陽子の読みは当たっている。
ただし言葉は言葉にするだけであれば、何も失わないからだ。現実に安全なレールを飛び降りて、まして怨みもないのに実の親が構築してきたものを放棄するような人間が、この世にどれだけ存在するか。ましてのはなは、ともすれば丹羽の庇護下を離れさえしなければ、労働も経験しないで生涯をぬくぬく終えられる。