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自由という欠落
第9章 仕掛けのない平凡
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「大事だった下級生がいるの。十四歳だった。思春期の淡い恋心だと思われるかも知れないけれど、あの子との思い出が、あの頃の私を生かしてくれた」
暮橋紬は人当たりの良い人物として定評らしかった割りに、心陽に警戒心をむき出しにした。
そんな一つ歳上の少女の信頼欲しさに、心陽は自分が山本陽子の妹であると打ち明けた。すると巣に籠り慣れた小動物同然の彼女は、目に見えて胸を撫で下ろした顔を見せた。
隣町にある山沿いの貸家に、紬は暮らしていた。
心療内科が近くにあるという。彼女の祖母の話では、定期的に医師が訪ねてはいるものの、ここ数ヶ月は家族を含む身内らが代わるがわる様子を見に覗くくらいで、安定した状態らしい。
紬は健康的だった。彼女に関して事前に知悉してなければ、わざわざ親元を離れて、こうも辺鄙な土地で生活させられている事情も、想像つかなかったろうほどである。実際、心陽が素性を明かした途端、彼女は多弁にもなった。
…──知っている、とっくに。
紬の話の冒頭こそ、心陽は既に知る答えを確認させられる気持ちでいたが、次第に佳乃も知らなかろう情報が混じるようになった。
紬が恋人だったと話す下級生との出逢いや思い出、年が明けてまもなくの彼女の誕生日の記憶に、事件のあと交わした会話。…………
陽子は知っているかも知れない。だがこの件に関して、心陽が陽子に確認出来る術はなかったし、出来たとしても、あえて知る必要のない情報でもある。
けだし紬は、心陽を久しい同世代の話し相手と認識したのだ。会ってまもない、昔の教師の妹に。
紬は健康体で紅茶も飲むが、痩せていた。
心陽はアールグレイを啜りながら、友人として、そして陽子を救う手がかりとして、彼女の挙動を注視していた。腕や足にも目が行った。紬が腕を上げた時、長袖から覗く傷痕は、水に濡れれば乾いたばかりの鮮血が再び滲むのではないかと危ぶまれる。