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自由という欠落
第10章 貴女という補い
寒気が今冬の悔いを残すまいとしているように、一年で最も冷え込む二月、街は一足早く春の息差しを呼び込んでいた。カカオが最も美味しい時期でもある。大学の学年度の満了がバレンタインデーを迎える前というのが不自由な点だが、その分、長い春休みが始まる。
学年末の最終日。
帰宅したのはなは、ティーセットを下げる坂木とすれ違った。リビングの扉の隙間を覗くと、夕まぐれなのに丹羽の姿があった。
「ああ、のはなか」
「ただいま。仕事は?」
「さっきまで曽根崎さんが来ていて、話していたんだよ。実はね、◯◯区でアクセサリーの新店舗を始める話が進んでいる」
「お父さん、前に趣味で手を出した事業だと話していたのに」
「それが思いのほかなかなか売れて。若い人は、ブランド物なんかより、ウチのような安い物の方が買いやすいのかな」
「人によるでしょう。物にもよるし」
のはなは部屋へ引き上げるタイミングを伺いながら、適当に切り返していた。
すると後方に、陶器がぶつかり合う音がした。坂木が新たにお茶を準備していた。
西原のいない穏やかな夕刻だ。西日が窓から差し込む時間に父親とただ茶を飲むというイレギュラーに、のはなはぎこちない思いを持て余しながらも、茶葉の香りに促されてソファに座った。
丹羽はのはなに学校生活の話を求めた。一昨日も、その二日前にも、いつも話しているのにだ。昔から成績に関して多くを求めなかった父親は、やはり今年度も無事に学業を終えた娘を労って、楽しく過ごしているのであれば問題ないとだけ言って、目尻に皺を刻む。将来の希望についても訊きたがった。一流企業の次期代表取締役を伴侶にしようとしている娘に対する話題ではないと感じながら、のはなは行きたい国や観たい舞台の話をした。
丹羽は善良だ。善良すぎるがゆえ、損得や悪意にも疎い。
いつかのまひるの思い出話によると、丹羽が海外から仕入れてきたアクセサリーが、先方のミスで発注とは別色で届いたことがあったらしい。その時、丹羽は、担当の社員を困らせたくないばかりに、誤って届いた商品を在庫として抱えたという。
それほど善良な人物なのだ。愛娘に良かれと思って引き合わせた御曹司の性癖に欠点があったところで、懐疑とは無縁の彼は、ともすれば加虐嗜好という言葉もピンとこないかも知れない。