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自由という欠落
第10章 貴女という補い



「っ、……」

「ん……」


 はっとして、桃のジュースを滑らすまいと、指に力を込め直す。
 紬は角度を変えながら、まひるの唇にキスを重ねる。皮膚に受ける柔らかみは、戸惑いから、次第に歓びへ変わっていく。まひるは紬の啄ばみに合わせて、壊れ物を扱う具体にキスに応える。パインと桃の味が行き交う。ただ触れては離れ、離れては触れてを繰り返すキスは、紬のおりふし吐き出す吐息が、甘ったるさに輪をかける。


「まひるちゃん……ごめんね、私、こんなでごめん……」

「ううん、先輩、私こそ側にいられなく、て……」


 やるせなさが二人をとりこめていく。絡めた指先はどちらの体温も含まないで、いつまでも冷気が染みていた。

 まひるは紬と視線を交わしながら、一見変わらなかった彼女が大きく変わってしまった事実を確信する。人当たりが良く優しく、饒舌。積極的で、いつもまひるの一歩先を歩いていたような紬は、確かに今もここにいるのに、彼女にはあの時分の生気がない。紛い物の生気をまとって、紛い物の歓びを唱えているだけだ。


 いっそ終わらせて欲しい。

 のはなのためを望んでも、西原を破滅させられなかった。紬を襲った男をいつか殺める夢を見ながら、現実に本人に会った途端、そうした夢も、いだいていることで自分の正気を保っていただけなのだと自覚した。


 誰のために何も出来ない。

 紬を求める感情さえ、いつか過去になるかも知れない。そんな自分に価値はない。まひるは紬を想ってこそ、自分が自分でいられたのだ。紬のために生きられなくなるくらいなら、紬を想って生きていられる内に、終わらせたい。


「ジュースに、睡眠薬くらい、入れておいて下さいよ……」

「そんな酷いことしない」

「酷いのは、私だから。私は、紬先輩と一緒に死にたいって思ってるから」

「ああ、両想いなんだ」

「…………」


 でもね、と、紬はまひるの片手を取り上げて、指先をやおら甘噛みした。人差し指を咥えたままの唇が、言葉を続ける。


「もう一つ、わがままがあるんだ。私の。聞いてくれる?」


 潤沢を帯びたような紬の声は、心地良くまひるの胸に落ちていく。

 何故、時だけが巻き戻らないのだ。たった一度も不可思議な力が作動しない現実が、ここまで恨めしくなったのは、未だかつてない。
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