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自由という欠落
第10章 貴女という補い
* * * * * * *
例えば名づけ難い好意を寄せた相手だとか、片恋している相手だとかと、同じ香りをまとったとする。後ろめたい気分になる。
それが相互に、ほぼ同じ感情を交わす間柄の相手になると、身体の内側から抱かれている心地に恍惚とする。
浴槽には、紬の証が染み込んでいた。存在感を主張しないボディ用の牛乳石鹸は、フローラルとは名ばかりの、化学香料でそれらしく華やがせてあるシャンプーを引き立てる。
まひるが浴室を出ると、紬がドライヤーを用意していた。
先に髪を乾かしていた紬は、まひるを手前に座らせた。そして、かつて後輩と呼んで恋人と呼んだ少女の髪にタオルを押し当てていく。しなやかな指先が頭皮を遊ぶ。大切なものでも扱う仕草で髪をとく。やがて温風がまひるの髪を靡かせると、同じ香りであって違うものが一つに溶けて、まひるを包んだ。
体温で色が変わるリップグロスならともかく、同じ香りでここまで別物になろうとは、人間同士がどう努力しても一つになれないのも得心がいく。
心陽は、紬の住居を、明日にでも死にたがっているような人間のいる雰囲気だと言っていた。だから会いに行ってやれ、と。
まひるからすれば、ここは紬そのものだ。
純朴で、清らで、余分に飾り立てたりしないで、最低限の持ち物で、生活を営んでいる。紬は、けだし何事もなく卒業して進学して、大多数の少女が人生で最も装飾に関心を持つ年端になっていたとしても、やはり持ち前のころころ変わる表情で、自身を色づけるだけだったろう。
そうしたことを紬に話すと、彼女は否定も肯定もしなかった。
「昔、まひるちゃんに私、ヘアピンプレゼントさせてもらったの覚えてる?」
「覚えてます。今もあります。つけてくれば良かったな……」
「えっ、まだ持ってたの?あぁぁ……もっと良いの、なんか用意しておけば良かった……」
「十分可愛くて気に入ってます。もったいなくて、今じゃつけられませんけど」
紬からの、最初で最後の贈り物だった。昨年のクリスマスにも、ふと眺めていたそれは、五年という歳月を経たものにしては一点の錆びもない。
気に入っていて着用を避けていたのではない。
髪につけて外に出て、空気に触れれば触れるほど、紬にまつわる記憶と共に、ヘアピンも錆びついてしまう気がしたのだ。