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自由という欠落
第3章 選べない貴女

* * * * * * *

 街の景色に茜色が降りる時刻、心陽は実家を離れて暮らす姉の部屋を訪ねた。

 職に就いて五年を経た女にしては慎ましいのか、この程度が妥当か。ともあれ砂埃の通路に並んだ煤けた扉のインターホンを鳴らすと、面倒臭げな女の声が返ってきた。名前を告げると、やはり来客を歓迎する気色などなおざりにも見せない部屋の主が現れて、淡白な調子で流し台へ向かっていった。



「相変わらず陰気臭い顔してるね。疲れているところ、急にごめん」

「貶すか、恐縮するか、どっちかにしなさい。紅茶で良い?」

「ありがと」


 姉、山本陽子は事務的な手つきで、湯を沸かして茶葉をスプーンに掬う。ぐつぐつ、と、紅茶の水面が耳に心地の良い響きを生んで、2LDKのリビングに腰を下ろす心陽の鼻先にまでアールグレイの香りを運ぶような産声を上げる。若草色のコーヒーカップは、先日、のはなの自宅で振る舞われた洒落たティーセットとは天地のごとくだ。


 屈強な存在感を主張する濃色の木材の家具が並んだ部屋の壁には、黒やグレーの羽織りが吊るされている。カーテンはベージュ。畳まれてある白い寝具も、広げて差し色が見えるとすれば、陽子らしい地味なものだろう。

 一人前に生活している。

 今更、昔が恋しくなることはないにせよ、我が姉ながら感慨深い。



「今日はどうしたの。友達にフラれた?」

「それもあるし、お姉ちゃんに会いたくて」


 のはなと最後に会話したのは、昨日の昼間だ。遊びに誘って首を横に振られた事実はないし、同じ文学部にも高等部から連んできた友人がいる。心陽にとって、むしろのはな達との交流の方が、例外だ。


「お姉ちゃんと、恋の話がしたくて」

「面白いもの何もないわよ。あんた、そんなに友達いない子だっけ」

「だから、そういうのじゃなくて……」


 やはり尋常ではなくやつれている。

 丸テーブルを挟んで向かい側に腰を下ろした心陽の姉は、二十七歳の女にしては気の毒になる、目の下にクマさえほの見えていた。
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