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自由という欠落
第4章 彩りのうたかた
* * * * * * *
のはなが眠ったあと、心陽はペンションの個室を抜け出した。エントランスのある本館に、佳乃が待っているからだ。
今夜も静かだ。
草木の匂いを連れた夜風が、今とは一変して明るかった昼間の記憶を誘起する。
心陽の空疎になった目路に蘇るのは、このところもっぱら、のはなと共有したひとときだ。特に今、寝具にくるまった彼女の髪、肩、寝息を感じてきたばかりだ。彼女の真新しい存在感が染み通っている。
二人が戻るまで起きていると言い張って、他愛ない話に付き合ってくれていた、のはなの笑顔。それでも帰りがいつになるか分からないからと言って就寝を勧めた心陽に、やんわりと微笑んだのはなの「おやすみ」──…。
世間からすればとるにたりない友人同士の交流だ。とるにたりない友人同士の交流こそ、心陽には輝石にも匹儔する稀少なものだ。思い起こせるのはなの笑顔で、言葉で、一週間は生きていける。
「佳乃さん」
深夜まで営業しているラウンジで、待ち合わせしていた女はシャーベットをつついていた。とりあわせはブラックコーヒーだ。
姉より長い黒髪、姉より癖のあるミディアムの髪はサイドテールに結んで、心陽の知る芸術家が好む類のファッションに身を固めた佳乃は、芸術家らしからぬ気さくな顔をくしゃりと崩した。
「お待たせ」
「待ってないよ。私が早く来ただけ。こんな時間に、有り難う」
「こちらこそ。お姉ちゃんは良いの?」
「清水さんに会いに行ったでしょう?やる気のない先生のくせに、卒業生には熱心だこと」
心陽は佳乃の向かい側に腰を下ろして、お品書きを取り上げた。柔らかなローソファーに身体が沈んだ。店員に声をかけてミルクティーを頼むと、ガラス張りの壁を見遣った。
うっすらと木々の影の並んだ夜陰は、今の心陽には十分すぎる情景だ。美しいものを見たあとは、何を見ても色鮮やかに感じる。