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自由という欠落
第5章 始まりの同義語は多分
* * * * * * *
うなじを硬質な冷気が襲った。ひくん、と、背筋をすぼめた次には、陽子は目の覚めるような刺戟に溜め息をついた。
「有り難う」
ケアレスミスを戒めながらの単純作業は、散漫になる集中力と眠気との闘いだ。悪戯という眠気覚ましの差し入れ主は、デスクの近い後輩だった。
「今、感じなかった?」
「……今の感謝、撤回ね」
陽子は佳乃から缶入り紅茶をひったくって、タブを引いた。今しがた自分の耳許にささめきかけた女は、そうした芸当も容易いほど近距離にいた。
きんきんに冷えたアルミ缶の飲み口が、小気味の良い音を立てて開く。冷えたミルクティーは口に含むと、再三、陽子の意識を引き締める。二口目以降は、単純な渇きを潤わさんと、嚥下の欲求を促した。
「クーラーつけなよ。ビックリした。美術室の整理から帰ってきたら、こんな暑苦しいところに残ってるんだもん」
「他の先生達、とっくに帰ったあとだから。一人で電気代を使うなんて、おこがましい」
「じゃあ、つけてくるね。私は陽子みたく卑屈じゃないし」
カスミソウが刺繍してある総レースを重ねたフレアスカートをひるがえして、陽子がパネルスイッチへ向かった。暑さなどものともしていないような白い手が、無邪気にクーラーをオンにする。ついでに温度の設定も下げて。
肌がしとりに火照る季節、かつて譴責と侮蔑のさなかにいた陽子が密かに目で追っていた女子生徒は、どのようにして過ごしていたろうか。
今ほど酷暑は極まっていなかった。どれだけの暗雲にとりこめられていようとも、分け隔てなく何者にも所有されない晴れ渡った碧天は黄金色の炫耀を地に注いで、時の経過を陽子に報せた。