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月の川 〜真珠浪漫物語 番外編〜
第1章 天使の手のひら
「…はい。これだけです」
月城は古びた鞄をぎゅっと握りしめる。
運転手は寡黙な月城を緊張しているのだと解釈し、車のエンジンをかけながら明るく話しかける。
「田舎から1人上京して、心細いかもしれないけれど、心配はいらない。旦那様はお優しい良い方だから」

…それは初めて会った時から知っている。
北陸の漁村の小さな教会…。
月城が神父に頼まれて、学校に行けない子供達を代用教員として土日に教えていた。
その授業の様子を視察に来たのだ。

古びた教会に北白川伯爵が入ってきた時、月城は確かに教会内がぱっと明るくなったのを感じた。
見たこともないような西洋の洋服、帽子、ぴかぴかに磨かれた靴…。
そして何より驚いたのは、伯爵の美しい顔だ。

この…色なんて燻んだようなものしかない寂れた寒々しい漁村に、こんなにも美しく華やかな容姿をした男性など月城は生まれてこの方、見たことがなかった。

整った眉、二重瞼の彫りの深い大きな瞳、西洋人のように高い鼻梁、口角が上がった形の良い唇…
背はすらりと高く、まるで教科書で見た欧米人のようだった。

田舎の子供達もこの殆ど異人のような、東京から来た伯爵に目を奪われてしまっていた。

授業が終わると、月城は神父の部屋に呼ばれた。
北白川伯爵は、まるでそこが自室の椅子かなにかのように寛いで座っていた。
「君の成績を見せて貰ったが、素晴らしいね。独学でここまでの学力を身につけたとは…大した若者だ」
伯爵の心地よい美声を聞きながら月城は、綺麗な人は声まで美しいのだなと思った。
「…ありがとうございます…」
伯爵はその美しい顔に魅惑的な笑みを浮かべた。
「…君は東京に出て来て、私の屋敷で働きながら大学に通う気はないか?学費は給費生としての扱いだから心配はいらない。…丁度我が家は執事見習いを探していたのだ。…君は若く賢くそして美しい…きっと素晴らしい執事になれるはずだ」
…北白川伯爵の申し出は、まるで夢のような話であった。
神父は、伯爵の慈愛の精神に咽び泣いた。
月城は…
…僕は夢を見ているのだ…。
東京で大学に通える?
そんな夢のような話が現実の筈がない。誰かが僕を騙しているのだ。
と、自分に言い聞かせながら帰宅した。

…伯爵の申し出が現実と分かったのは数日後、帝大推薦書が添えられた丁寧な手紙と共に東京行きの汽車の切符が送られてきてからである。




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