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愛してるから罪と呼ばない
第1章 逃避行






 美衣子を昇らせたのは制裁ではない。


 罰という名にくるんだ逃避だ。


 香凜も、架空に見た辛辣な行為に憧憬しながら、菜穂という匿穴に巡り逢っただけだった。



 ひっくり返ったカップの水は戻らない。

 こうも脆い日常を、されど否定するには香凜と美衣子はいやが上にも弱かった。

 誠二の場所に代わりはなくても、喪失の疼痛を和らげんと足掻くことは出来る。残った僅かなものに縋れる。



「血が繋がっているんだから理解出来る。親子の絆は戸籍とは違う。…………香凜は、そういうこと言ってあげないんだね」


 香凜と菜穂、二人して泥のような眠りから覚めた。

 丑三つ時を回った深更、美衣子の寝息を絶やさないよう注意を払って、閨房を抜けた。


「そういうお節介が言えるほど、私は美衣子さんを知らない。たとえもっと長いお付き合いだったとしても、そこまでは不可能だわ」

 菜穂の淹れたカモミールティーは、先日の鍋ほど香凜の心身に染み通らなかった。潤いを渇望する必要がなかったからだ。


「親には感謝しているよ」

「──……」

「美衣子さんには、言わないけど」



 道徳や、綺麗事という偏見に押し嵌めるべきでないものがある。

 世間は美衣子と誠二の確執に眉を潜めて、けだし修復を強制したがる。彼女らには、香凜と誠二をしのぐものがある。それでも彼らが当たり前の道徳の許に和解することを、百パーセント正当と、誰に断言出来るものか。


 美衣子は救われない。香凜を見限って誠二と赦し合っても、誠二を見限って香凜と添い遂げても、美衣子でなくても何も失わないで生涯を全う出来る者はいない。



 だから逃れる。


 ひとときの快楽。理性の靄をまやかす恍惚。


 不可視の逃避は、或いは離し難い真実への誘導も、なきにしもあらずだ。逃避と軽んじていたものが、空疎を輝かせるかも知れない。





 深入りする気はなかったのに、偶然とは言え、隣近所になってごめんね。


 はかなしごとが何度か転換した中で、香凜はいつかの菜穂の理論に遅ればせながら謝罪した。すると、人懐こい女は無邪気に笑った。



 香凜と美衣子さんとは、こんな風になれて良かった。友達にならなかったことなんて考えられないよ。
 






fin.
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