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姦譎の華
第5章 5
「ああっ……!」

 突然声を上げた稲田は、別に衝立などないのに首を伸ばして入口を窺った。

 そこには誰もいなかった。

 しかし廊下を鳴らす踵音が聞こえてくる。だんだんと大きくなる。

「ほーら、言った通りだろ?」

 島尾は得意満面だったが、稲田はそれどころではなかった。
 カードを読ませる音がする。麗しの社長秘書が入ってきた。

 自分たちの頭上だけしか灯りが点いていないから、すぐに向かうべき場所がわかったようだ。風が強かったのだろうか、額へいくつかの髪が落ちている。乱れ髪でも悲愴さはまるで感じさせず、その顔ばせは日ごろの通りに凛々しく、眉だけが険しく寄っていた。背すじを伸ばし、両の肘へ手を添えた腕組みをして近づいてくる。

 島尾も稲田も無意識裡に、貴賓を迎えたかのように起立していた。

「遅れてしまってすみません」

 言葉遣いは丁寧だったが、謝意はまるで込められていなかった。パンプスは揃えられておらず、組んだ腕も崩されてはいない。

「いっ、いいえっ、とんでもないっ、こ、こちらこそ……」
「おい」

 稲田が顔の前で激しく手を振るので、島尾はいきなりの阿りぶりを制した。あんまり下からいくとつけあがらせるぞ。言っておいたはずなのに、本人を前にするや心得が消し飛んでしまったようだ。これでは先が思いやられる。

「……あの。もう遅い時間ですから、用件は手短にお願いしたいんですけれど」

 ほらみろ。
 女は肩を揺らして軽く息を吐き、顔に掛かっていた髪を耳にかけた。肘へと戻された人差し指が、袖をトントンと打っている。自分ですみませんと宣っておいての態度に、島尾は口汚い言葉が出そうになるのをこらえ、

「へへっ、用件はメールに書いてあったじゃないですか」
「読みました。酒井さんの件はもう示談が済んだと聞きましたが?」
「ま、話は座ってしましょうや。特応、開けてもらえませんかね」
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