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獣に還る時
第1章 獣に還る時
 結婚六年目の夫婦が居た。夫は三十八歳。妻は再来月で四十になる。マンションを買った二年前までは、よく二人で晩酌をしていた。共働きである二人は仕事の愚痴を言い合ったり、近所の住民のうわさ話などでよく笑ったりした。酔いも程良く回って、食後の後、風呂前に悪ふざけでキスをしたり、互いの性器を弄んだりしてバカをしたものである。


 しかしこの頃……というより、去年あたりから飲み交わす酒の量が減り、徐々に会話が少なくなっていった。籍を入れて六年。一つ屋根の下で暮らしていると、相手の顔が異性としてではなく妻として、夫として、それぞれの役割を担う人間としてしか見られなくなる。仕事をし、家事をし、時にはケースバイケースで欠点を補う毎日。いつしか情事すら忘れて、男であること、女であることすら過去に置き去りにしてしまっていた。


 それはマンネリ化、倦怠期……などといった類のモノではない。夫婦として一つになったカップルが辿り着いた、一種の完熟された形であった。愛も言葉も要らない。そんなものは、とっくの昔に二人の基盤となって地が固まっている。溢れる愛欲で確かめあった。湧き出る話で語り尽くした。今はもはや、夫婦であることが当然であるが故に、一家庭を守るのため、日々の生活を繰り返すのみである。


 ある土曜日の夜のことだった。



 夫はこの日疲れていた。朝から晩までデスクワークをこなし、目をつぶると書類に書かれていた文字と数字が残像として浮かび上がってくるほどに疲労しきっていた。一つ一つの呼吸が深呼吸になってしまうほどに、肉体的な疲れも浮き彫りになっている。


 夫は溜め息を吐きながら、食後のビールをグイッと呑んだ。


 今では仕事のストレスを和らいでくれる妙薬として重宝している酒。だがこれも飲み過ぎて、今ではすっかり太鼓腹だ。運動不足もあって、スポーツマンだった十年前の体型はすっかり崩れてしまった。軽く叩けば波打つ腹部。顎下に溜まった脂肪に薄くなった毛髪、パソコンの画面を見すぎて、うっすらと張り付いた隈……。


 一体、あの頃の自分はどこへ行ってしまったのだろう。そうやって臭うゲップをまき散らして、昔を懐かしむのだった。

 
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