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吼える月
第36章 幻惑

「サク?」

 握ったままの手。
 それを持ち上げ、サクは彼女の手の甲に口づけ、ひたむきな眼差しをユウナに向ける。

 言葉に出さずとも、熱を帯びたサクの目が語っている。

 好きだと。
 心を通わせあいたいと。
 触れるだけでは、もう限界なのだと。

 ユウナの瞳が揺れる。

 だからサクは、手を引いてユウナを両腕の中に抱きしめ、ユウナの肩に顔を埋めた。

「姫様」

「……っ」

「姫様、俺……っ」

 その時だった。

「……ユウナ、おいで」

 耳に聞こえたのは、居るはずもない男の甘やかな声。
 
 いや、意識が沈むとき、自分は聞いたじゃないかとサクは歯軋りをする。

 またか。
 また、来るのか。

 そして、ユウナはサクを突き飛ばし、あんなに強く握っていた手をいとも簡単に振り解いて、サクに背を向け走る。

「――リュカ!!」

 そこにいるのは、微笑みを絶やさない、昔の姿。
 ただ違うのは、短い銀色の髪が彼の美貌を際立たせていた。

 これは、幻だ。

 サクは思う。

 こんなところにリュカが来れるはずがない。
 あんなに愛おしそうな目を、自分がいるこの場でユウナに向けるはずはない。

「姫様、それは幻です!」

 そう叫んだのに、彼女は迷うことなくリュカの首根に両手を回し、リュカの体に包まれた。
 そしてリュカの手が彼女の体に回る。
 
 漆黒のサクを弾く銀色に包まれた美貌の男女は、婚約していた仲だ。

 ……それはわかっている。

 リュカの元に嫁ぐと決めたのはユウナ。
 彼女は自分がいるあの場で、リュカを選んだのだ。

 ……それは十分わかっている。
 
 それでも。
 自分とだって、仲を深めてきたじゃないか。
 少しずつユウナは変わってきたではないか。

 それなのに――。

 リュカが現われただけで、その思い出さえも簡単に壊すというのか。
 どんなに頑張っても、ユウナの武神将になっても、リュカには敵わないというのか。

 ぎりぎりと、嫉妬と悲哀にサクの胸が締め付けられる。
 
――……リュカを。

 彼女がリュカを選んだあの時を、まだ振り切れない。
 それ以降のユウナの言葉が、もう聞こえてこない。

 ユウナとの思い出が、黒く塗りつぶされていく――。
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