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蒼井シリウスさんの日記

シリウスの小説執筆方法論 第2回
[作成日] 2014-04-24 10:13:08
今起こっている現象からは知覚できないものを、伝えなくてはならないとき『説明』が必要なのです。
見ても、触っても、食べても、それが『昨日、母親が送って寄こしたリンゴ』だとは分からないのです。

『説明』とは『描写』を補うためにあるのです。
それが『説明』の役目だと、私は定義付けています。

小説は『描写』『説明』『台詞』から出来ていると言いました。
言われてみれば、“外見上”はそう見えます。
でも、それは“見た目”であって、本質的な構造ではないと思います。
では、この構造分かったからといって、小説が書けるでしょうか?

ここで、描写を書いてください。
次は、説明をしてください。
ここに、会話を入れてください。
それを繰り返してみてください。
それで小説が書けます。

そう教えられて小説が書けるでしょうか?
書けないと思います。
今、言われたことは表現上の形式であって
「これはバットです」
「これはグローブです」
「これはボールです」
「分かりましたね? じゃあ、野球をしましょう」
と言われていると同じことです。

バットとグローブとボールの区別がついたからと言って、野球が出来るわけはありません。
それらを使って何をしたらいいのでしょう?
野球というゲームの意味から理解しなければ、野球は出来ません。

では“小説”とは何か?
ある本にこう書いてありました。

小説は「いつ、どこで、誰が、なにをして、どうなった」かの、一連の動きを書いたものだ、と。
つまり“変化”を書くのが“小説”なのです。
私はそれを信じました。

似たような文章で書かれたものに“エッセイ”があります。
でもエッセイは違います。
エッセイの文章中で表現されたものが、何一つ変化しなくてもエッセイは成り立ちます。

作者が知覚したものを、作者がどう思ったかを書くのがエッセイですから。

『今朝、ベランダで花がしおれてるのを見つけた。私は、そこではたと気づいたのです。』 

あとは作者の思想が続いて、終わります。
思想の表現手段、それがエッセイです。

エッセイと小説の違いはそこにあるのです。
だから“変化”を読ませることこそが小説です。
小説は“変化”もしくは“動き”を中心に書いていかなければならない。
私は“動き”の観点から、小説の書き方を分析してみようと思い立ちました。

つづく……。

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