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令嬢は元暗殺者に恋をする
第53章 胸騒ぎ
 アルガリタの町、夜の歓楽街。
 酒場の片隅でテーブルに頬杖をつき、物思いに沈んだ顔で酒盃をもてあそんでいたシンは、ふと暁色の瞳を揺らし視線を上げた。

「サラ……」

 名前を呼ばれたような気がして、シンは勢いよく椅子から立ち上がった。
 側にいた客や給士が訝しむ目でシンに視線を向ける。

 何故、呼ばれている気がしたのだろう。
 何か彼女の身によくないことが起きたのか、否、起ころうとしているのか。

 が……。
 そんなわけないか。

 サラが自分の名を呼ぶはずがない、と思い直してシンは再び椅子に座り直すと半ばやけになって酒盃を傾けた。

 あの夜会の日、ハルに会わせてやると誓ってからこの数日、何をするともなくぶらぶらと町を歩いては、てきとうな酒場に立ち寄って朝まで飲み、家に帰ってひたすら寝るという、何とも自堕落な生活を過ごしていた。

 カナルを抱いて以来、女遊びもしていない。
 誘惑してくる女性はそれこそ何人もいたが、適当な理由でかわした。
 とても、そんな気分になれなかった。
 空になった酒盃の縁に指先を這わせ、シンはせつないため息をついてうつむく。
 首の後ろで緩く結び、背に垂らした長い髪がぱさりと胸に落ちる。
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