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令嬢は元暗殺者に恋をする
第58章 解き放つ怒り
 さっと──。

 舞い上がった花びらが駆ける風に乗って夜の虚空を舞い上がり、暈を描いた蒼白の月に黒い影となってひらひらと踊る。

 散った花びらの数枚が、ゆらりとサラの髪に落ちた。
 手のひらに、指の腹に食い込んだ棘の痛みに、ハルはきつく握っていた手のひらを開く。

 棘に傷ついた指先から、ぷつりと血の玉が浮かび、その血玉はじわりと膨れあがり指の腹の上で滲んだ。

 ハルは唇に指先を持っていき、浮かんだ血をちろりと舐める。
 指先が痙攣するように震えた。
 疼く痛みと舌先に覚えたかすかな血の味。
 そして、新たに浮き上がる指先の血の玉が、記憶の奥底に封じた忌まわしい過去を鮮烈に呼び戻す。

 今一度、あの時の自分を思いだして戻れ。
 細められた目の奥、藍色の瞳をかすめるのは狂気の影。

 あるいは、ようやく愛する人を傷つけたあの男に報復に向かえるという狂喜の光。
 目覚めようとする危険なもうひとりの自分の本性に、己自身ですら戦慄を覚えた。

 愛しい人は深い眠りの底。
 故に、この醜い感情を悟られることも、冷たい光を孕んだ瞳も見られることはない。

 薄く開いた唇からもれるのは震える吐息。
 鎮めなければ何をしてしまうかわからない。

 否──。

 ハルは端整な顔にぞっとするほどの冷たい笑いを刻んだ。
 鎮める必要などない。
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