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令嬢は元暗殺者に恋をする
第82章 幸せを願う
「あの、さ……」

 先に口を開いたのはシンの方だった。
 テオは片付けの手を止めず、シンの言葉の続きを待つ。

「あの娘……」

 あの娘とは、問い返すまでもなくサラのことだ。
 しかし、ようやく口を開いたもののシンはそのまま口を閉ざしてしまった。

 再び訪れる沈黙。
 このままではいつまでたっても会話が進まない。
 いや、テオ自身サラのことを気にかけていた。

 もしかしたらこの男なら何か知っているかも知れないと思い、シンの言葉の続きを引き取る。

「ここへは来てないよ。もうずいぶん顔を見せていないし、屋敷にも帰っていないようだ。どこへ行ったかもわからない。おまえこそ、何か知らないか?」

 テオの問いかけにシンはいや、と首を振り、望む答えを得られなかったことにそっか、と落胆の色を滲ませてつぶやいた。

「邪魔、したみたいだな」

 立ち上がり、扉に向かっていくシンにテオはようやく視線を向けた。
 どこか寂しそうで切なさを孕んだ背中に残照の影が落ちる。
 きっとこの男もサラのことを。

「もう少ししたら夕飯だ。せっかく来たんだ、おまえも一緒にどうだ?」

「俺? い、いいよ……」

 思いも寄らぬ誘いにシンはひどく驚いた様子で言葉をつまらせる。
 テオは肩をすくめた。

「たまには、先生のお酒につき合ってくれないか? 僕は、飲めないから……」

 シンは照れたように笑い頭をかいた。

「酒、つき合うくらいなら」

「先生も喜ぶ」

 シンはうつむき、窓の外に視線を転じた。

 徐々に訪れようとする夜の気配をそこはかとなく忍ばせ始める空に、星が一つ二つと瞬き始める。

「サラ……」

 サラもどこかでこの天(そら)の星を見上げているのだろうか。
 サラ……あんたが幸せになってくれることを、俺は祈っているよ。
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