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エリュシオンでささやいて
第9章 Loving Voice
 

 *+†+*――*+†+*

 
 須王の手にはがっつりと歯形がついており、血が流れている。
 誰に噛みつかれたのか、そんなことは棗くんの口元を見ればわかった。

――棗は一種の精神的なものが引き金となって、てんかん症状になる。舌を噛み切らないようにするためには、これが手っ取り早い。

――ごめん、上原サン。もうちょっと……須王を貸して。

 悲しげにそして気怠げに、須王の胸に顔を寄せる棗くん。
 そして棗くんの背中を手で撫でる須王。

 男同士だというのに、ふたりが纏う空気は恋愛とかいう……あたしが想像出来る限りの俗めいたものを超える特殊なものがあり、それは神聖な結界のようにあたしを弾いた。

 このふたりが持つ悲しみは、あたし如きは立ち入れない。

 須王を理解出来るのは棗くんで、棗くんを理解出来るのは須王で。

 ……だからそっとして置こうとは思うけれど、だけどあたしも……尋常ではない〝発作〟を起こす棗くんを、はいそうですかと置いてはいけなくて。

 病室には救急セットがないために、裕貴くんと女帝にお願いして消毒液と大きめの絆創膏と包帯を買って来て貰い、あたしは簡易キッチンのところからお湯を出して、小林さん用に用意してあった山積みのタオルのうち二枚を湯に濡らし、乾いたままの一枚のタオルと合計三枚を持って部屋に戻ると、須王にぐったりと寄りかかっている棗くんの顔を拭いた。

 須王の腕の中にある弱々しい茶色い瞳が、あたしの顔を見る。

 ああ、なんという悲壮な表情を浮かべる美女なんだろう。
 ……男の子なのに。

「……る」

 不意に緋色の唇が動いた。

「あ、熱かったかな?」

 タオルをパンパンと叩いて冷ますと、棗くんが少し明瞭な声音で言った。

「化粧……剥げる」

「棗くん……」

「お前な……」

「すっぴん、恥ずかしい……」

 目許をほんのりと赤くさせて、なんとも初々しい恥じらいを見せる棗くん。
 ……男の子なのにね。なんでこんなに色っぽく恥じらうのかね。
 
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