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月光の誘惑《番外編》
第3章 月に臨み、月を望む。

 病気であることは、ある時期から自覚していた。そして、それが治りようがないことも。

 高校生のときに訪れた箱根の美術館で、俺は、魅力的な女に出会った。
 村上叡心という画家が描いた絵の中の女。縁側に横たわり、妖艶な笑みを浮かべる女。
 描かれる光の加減、影の加減が絶妙で、本当に美しいと思ったのだ。

「この画家の絵、うちにもあるなぁ」

 隣に立ったクラスメイトの口から零れた言葉に、俺はすぐさま飛びついた。

「水森、今度その絵を見せてくれ」
「え? あ、あぁ、別にいいけど」

 大して話したこともないクラスメイトは怪訝そうな顔をしていた。
 変な奴だと思われたに違いない。半裸の女の絵を見て欲情したのだと思われても仕方ない。
 それでも、絵を、女を、見ていたかったのだ。

 そのときに買ったポストカードは、ずっと大切に保管してある。
 そして、色褪せるたびに箱根まで出かけ、買い求めていた。もちろん、閉館時間になるまで、村上叡心の絵を鑑賞し続けていたので、変な客だと思われていたに違いない。

 水森の祖母――千恵子さんは、俺が訪問するのを嫌がりもせず、収蔵してある村上叡心の絵を見せてくれた。一枚一枚、解説までしてくれて。

「始まりはこの絵よ。暗闇に佇む街娼の絵。村上叡心が初めてミチを描いた作品ね。この絵を見た水森貴一が、叡心の絵を買い求め始めたの」
「これは珍しいの。家ではなくて外で描かれた作品。桜が美しいでしょう? 光を上手に取り入れる画家だったのよね、叡心は。今にも風が吹いて桜の花びらを散らせるような気がするわ」
「これはつらい作品ね。ミチの美しい体の上に、わざと絵の具を塗りつけているの。わざと汚しているのよ。汚された、と思ったんでしょうね」

 裸婦像ばかり求める俺は、たぶんただのエロガキでしかなかっただろうに、千恵子さんは気にしてはいなかった。気にせず解説してくれた。
 叡心の絵を気に入ってくれたというだけで嬉しかったのだと、後に話してくれた。

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