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サイレントエモーショナルサマー
第35章 astuto
カップケーキ、クッキー、ガトーショコラ。それからシフォンケーキとマドレーヌ。月曜から金曜の5日で成瀬ちゃんが持ってきたものだ。感想を聞いてくれと言われたが、浩志がそれを食べているかどうかは分からない。そもそも彼は極度に疲れている時しか甘いものを食べない男である。
だが、私が作ったカップケーキは食べてくれたらしい。自分の好みに合わせてレモンピールを混ぜ込んだそれを彼は美味しかったと言ってくれた。
藤くんのところに逃げてセックスをしたからなのか木曜と今日は成瀬ちゃんの姿を見ても胸がざわつくことはなかった。不思議と数歩下がった目線で彼女がなにを企んでいるのかと訝しむに納まったのだ。
問題は浩志だ。なんだか彼が遠くなったような気がする。近くに居るのに、触れることも出来るのに。見えていた筈のものが見えない。とは言え、全てが見えなくなったわけでもない。いま、彼は眉間に皺を寄せてPCと向かい合っている。
社外業務から戻って30分。定時まではあと1時間。交通費の精算入力と報告書の作成に勤しんでいるのだろう。少し機嫌が悪そうに見えるのは、ついさっき村澤さんが飲み会忘れるなとわざわざ言いにきた所為だ。
「……仕事片付きそうなんだけど」
「私もどうあがいても残業しようがない」
「行きたくねえ…」
深い溜息。ちらりと浩志の横顔を見る。PCから視線を外し、椅子の背もたれに身体を預けている。苛々とデスクを叩く人差し指。デスクの隅にはマドレーヌの包み。さっと脳裏を過ぎる成瀬ちゃんのにこりと笑った顔。ミヤコちゃんとは系統の違う今時の女の子の顔だ。
「……浩志さ、」
「ん?」
「……やっぱいいや。なんでもない。ちょっとコンビニ行ってくる。ウコン買っとく?」
「お前酒飲むつもりかよ」
「私は飲まないけど浩志は飲むでしょ」
デスクから財布を取り出し立ち上がる。私は今、浩志になにを問おうとしたのだろう。分からない。