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花菱落つ
第3章 信玄
「待たせたの」

 信玄は、私的な居住空間である中曲輪の一室に、凪を通していた。

「聞いたぞ。源五郎に求婚されたそうじゃな」
「はい。恥ずかしながら」
「その時の源五郎めの顔を、わしもぜひ見たかったのう」

 信玄は体を揺すってひとしきり笑った。美しい巫女の正体が男であると知った源五郎は、腰を抜かしたに違いない。凪が女であったら信玄も二人の婚姻を許しただろうが、さすがに男との婚姻は信玄といえど許可はできない。

「堅物に見えてあやつも隅に置けぬ奴よ」

 信玄は凪を手招いた。身体が触れ合うほど近く。

「そなたには頼みがある。内密の事ゆえ、千代女には若く信の置ける『ののう』を寄越すよう頼んだのじゃ。その物腰、そなた侍の子であろう。元の名は何と申す」
「市川大助にございます」
「そうか。一つ間違えば武田の大事にもなりかねぬこと。くれぐれも他言はせぬように。さ、もそっと近う」

 信玄は凪の手を取り、手元に手繰り寄せた。髪を止めていた水引を解くと、豊かな黒髪が生き物のように背に流れた。

 信玄は女だけでなく衆道に関しても盛んだと聞いていたことを、凪は今更ながら思い出していた。
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