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貴方だけに溺れたい
第1章 木漏れ日
早く……。
「……では、後ほど」
その言葉にフッと浮き上がるような気持ちと安堵を感じた。
そっと窺うように後ろを見ると、電話を切った森川が「ごめん」と呟くように苦笑を見せ息を吐く。
"ごめん"の意味は待たせた事だろうか?
一瞬だけそんな疑問も浮かんだが、先ほどよりも少し砕けた口調に、葵は自然と微笑みを浮かべていた。
しかし漸く森川と向き合い、雑念もまた払拭されたというのに、何を話せば良いのかも分からない。
「時間切れのようです」とスマホを胸ポケットに戻す彼の姿を見つめながら、「はい」と応えるのが精一杯だった。
だけど、ここでしんみりしたって仕方が無い。
また会えるかもしれないのだし、何よりも、森川に重い感情は向けたくは無かった。
「がんばって下さいね」
ありきたりの言葉しか言えないけれど、森川は「わかりました」と応えた後に微笑を浮かべながら葵を見た。
「お会い出来て良かったです」
「…………」
もしかして、天然なのかな……。
爽やかな笑顔でさらりと言う。
その自然な雰囲気に軽薄さや嘘臭さはまるで感じないけれど、思わず深読みしてしまいそうな言葉を口にされると、本当にどう対応すればいいのか困ってしまう。
「ぅわたしも……楽しかったです」
辛うじてそう応えてはいたが、葵は自分の鼓動が少し速まっているのを感じていた。
単純なのか、それともここ数年、こんな律儀なタイプの人に会っていないから、身体が動揺しているのか……。
どちらにしても、森川の発する言葉は不思議と葵の感情を揺さぶる"何か"があった。
「具体的な予定はまだ決まってはいないんですけど、来週あたりから園内で作業はしてるんで、気が向いたら声を掛けて下さい」
「あ、はい」
「景観を損ねないように、茶色いツナギを着てますから」
「そうなんですか?」
「はい、擬態してます。目を凝らして下さいね」
「ははっ、分かりました。見つけます」
しかしそれは、きっと、言葉だけでは無いのだろう。
冗談混じりの森川の話に笑いながら、葵は彼という存在をもっと感じていたいと思っていた。
彼と向き合い、ただ純粋に彼の事だけを考えて過ごしたいとさえ思っていたのだ。
現実から切り離されたような、この場所で……。