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貴方だけに溺れたい
第9章 喜びと切なさと、後ろめたさ
車の運転をするようになって、雨の夜が苦手になった。
特にバケツをひっくり返したような土砂降りの中を走るのは脅威でしかない。
最大の速度でワイパーを動かしていても、瞬く間に目の前の景色を歪ませて、アスファルトに反射する信号や外灯の灯りが遠近感を混乱させる。
『馴れれば平気だよ』と智之には言われていたが、こうした状況に遭遇する度に"いつになったら馴れるだろうか"と思わずにはいられない。
ただでさえ今日は体調が悪い。
生理初日で一日中立ちっぱなし。
しかも棚卸し後はお待ちかねの夏物処分セールが始まり、当然ながら休む間もなく大忙しだった。
けれど忙しい事は苦では無い。
寧ろ動き回っている方が余計な事を考えなくて済む。
ただそれは、心身共に万全な状態の時に限るが……。
時速30㎞という、後続車がいれば容赦なくクラクションを鳴らされそうな速さで進み、漸く自宅まで数㎞という位置まで来ると、葵はホッと息を吐いた。
取り敢えず"此処まで来れば後は大丈夫"と思える。
後は橋を渡って農道を抜ければいい。
21時を過ぎれば車通りも少なく、対向車線を走ってくる車も今のところは無いようだ。
とはいえ安全は第一だ。
午後の休憩時に服用した鎮痛剤の効果は既に消え、腰から下にのし掛かる鈍痛は辛かったが、ここでスピードを上げて事故など起こしたくは無かった。
橋に入ると、その先に見える景色は世話しなく横切るワイパーと、数メートル置きに佇む外灯の鈍い灯り。そして先日チョコバーを衝動買いしたコンビニの明かりだけだった。
コンビニに対して一昨日の出来事を思い出すのは昨日と同じだ。
昨日は一日中、森川と話した時間を振り返っては前向きな気持ちになったり、話し過ぎたような気持ちにも襲われ後悔したりもした。
しかし森川に話した事で、自分の中にとどまっていた迷いが吹っ切れたような感覚でもある。
ただし今はそれらに時間を振り返るのは勿論、自分を見つめ直す余裕は無い。
しっかり運転に集中して家にたどり着かなければならないし、強風の為か、ガタガタと揺れる橋の上の脅威に挫けないように集中しなければならない。
しかし暫く進んでいく間に、歩道側の外灯に照らされながら歩く人影に気付き、葵は無意識にも更にスピードを緩めていた。