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貴方だけに溺れたい
第3章  屈辱と悪夢

野田家の嫁と、何の接点も無いはずの男が親しげに話をしている。
それは他人から見れば、明らかに不自然な光景だった。

そして森川も、そんな状況を気にしていたのだろう。

「落ち着きませんね……」

溜め息に似た浅い息を吐き、苦笑いを浮かべた彼の言葉に、葵は頷くしか無かった。

まだ話は終わっていない。まだ話していたい。
やっと普通に話せるようになっていたのに……。

突然断ち切られたような会話の流れに、葵は現実に戻されたような落胆を覚えた。

しかし森川にとっては月曜日の約束を交わしたところで要件は済んでいるのだし、これ以上の長居はお互いにとっても良くないと考えたのだろう。

葵自身、今度はそこまで考えるだけの余裕はあったのだ。
それに不思議と、気持ちは軽い。

「それじゃ、続きは月曜日に」
「はい」

たぶんそれは、森川と向き合ったこの一時と、彼からの"約束"のおかげなのだと思う。
それ以上の理由は、まだ考えられない。
彼の戸惑いや発言の意味を把握するには、もう少し時間が必要だった。

けれど『また会うのだ』という気持ちだけで、葵の感情には暖かい灯火が灯されていたのだ。

「あ、俺は園内には居ますけど、月曜だと何処に居るかはまだ分からないので、面倒かもしれないけど探して下さい」
「分かりました」
「なるべく、草の多い場所にいますから」
「…………あ、分かりました!見付けます!!」

しかし何よりも、葵は最後には"ちゃんと笑えて"良かったと思った。

「……一瞬スベったかと思った」
「ごめんなさい。私ちょっと鈍くって」
「いやいや。でも可愛いね、その表情」

だけど。

「おやすみ」と言う彼に悟られないように急いで「おやすみなさい」と返した葵は思った。

この人は自分の発言が、相手にどんな影響を与えるのか分かってるんだろうか……?

森川にとっては特に意味をもたない一言だったのかもしれない。
現に彼は葵の動揺に気付く様子も無く、「じゃ」と軽く手を挙げた後にはもう背中を向けて歩き出していたのだから。

けれどそんな他愛の無い"可愛いね"の一言にドキドキしている私は、やっぱり自意識過剰なだけ?

葵は森川の後ろ姿を見送りながら、そわそわとした落ち着かない衝動に駆られていた。

「どんな顔してた?私」

とにかく今は、鏡が見たい……。





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