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アムネシアは蜜愛に花開く
第1章 プロローグ
  

 ***


 高校二年の夏休みが終わる一週間前――、その日は陽が落ちかけてもやけに暑く、じりじりと蝉の声がうるさかった。

 狂気じみた蝉の音に刹那的な悲哀さを感じ取りながら、わたしはネット記事の見よう見まねで、紺地に赤い椿の花が浮かぶ浴衣を着つけ、赤い簪で長い髪をまとめあげていた。

 本当はお義母さんに見て貰いたかったけれど、再婚相手の父といまだ週に一回デートをする時間は、邪魔をしてはいけない。

「あ、巽(たつみ)。お願い! 後ろの帯、大丈夫か見てくれない?」

 開いていたドアから、ペットボトルを飲んでいた黒髪の義弟と目が合い、声をかける。

 いつもは無視をするのに、その日は面倒臭そうに来てくれた二歳年下の義理の弟は、父が再婚したての五年前は、少女のように弱々しく愛らしかったけれど、彼が中学生になった頃から、精悍な男らしい美貌の持ち主へと変貌を遂げた。同時に無口で可愛げがなくなってしまい、彼の口から「姉」という言葉は出なくなってしまって悲しい限りだ。

 姿見にわたしの後ろに立つ、背の高い巽の端正な顔が映っている。
 大人びた彼とは違っていまだ童顔のわたしは、身長も百五十センチ後半で成長が停止してしまったようで、今ならどちらが年上かわからない。

 じりじりと、まだ蝉が鳴いている。

「どう? 大丈夫?」
「……ああ。花火大会、彼氏と?」

 めっきり低く艶やかに安定した声。
 ぞくっとする。

「そ。今日遅くなるって、義母さんと父さんに伝えておいてくれる?」
「終わるの九時前だろ。早めに迎えに行くよ」
「どうしたの急に。いらないよ。弟に迎えに来て貰う姉なんて、恥ずかしくて彼氏に見せられないわ」
「……」
「終電逃したらタクシーで戻るよ、泊まってはこないから。うまく言っておいて」

 暗に、花火大会の後も彼氏といることを示唆する。
 花火大会を見たカップルは、その後にホテルや草むらに雪崩込んで睦み合うのが、ほぼ常識になっていることは、巽もわかっていたようだ。
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