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滲む墨痕
第2章 顔筋柳骨

 十二月の冷たい風に撫でられ身震いした瞬間、ふと、電話口で聴いた男の声が耳の奥に甦った。体験希望を快く受け入れてくれたその人は、通話を終えるとき「楽しみにお待ちしています」と優しい声で言った。柔らかに低く響いたそれは、いとも簡単に脳を痺れさせた。
 チャイムを押してから一分は経っただろうか。ただ待つだけの六十秒は長い。
 依然として人が出てくる気配はない。勇気を出して二度目のチャイムを鳴らしてみる。なにも変わらない。

「いないのかしら……」

 勝手に戸を開けていいものかと逡巡していると、それは突然がらりと開けられた。

 桑茶色の作務衣を着た長身の男は、ふと潤を見下ろすと、鼻筋の通った精悍な顔を申し訳なさげに歪める。無精髭の生えた顎、雑にかきあげられた黒髪……まさか寝ていたのだろうか。
 電話で聴いたあの優しげで清々しい声の主とは思えない姿に戸惑いながらも、潤は「こんにちは」と声をかけた。

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