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女鑑~おんなかがみ~
第12章 貞操
夕顔が千鳥の部屋に行って戻らないのを待ちながら,操子はうとうとと微睡んだ。

ぼんやりと若槻さんのことを思い出す。
顔は幼いころから一応知っていた。髭を生やした猛獣のような人だと思っていたら,輝虎という名前だったのが可笑しくて,兄と一緒に笑った記憶がある。
だが,言葉を交わしたことはほとんどない。
せいぜい,「父を呼んで参ります」とか「粗茶でございますがおあがりください」とかその程度であった。

ただ,ごく幼いころから,この人が自分に視線を向けていることを感じていた。
挨拶をして父を呼びに行くだけの間でも,ずっと自分に視線を向けられていることに気づいていた。最初は,自分の思い過ごしかと思っていたが,兄もそのことを気づいていたようだった。
まだ尋常科にいた十歳ごろ,孝秀兄さまに言われたことがある。
「あの若槻という客が来たら,操子は応接間に近づくな。あいつは悪い目つきでお前を見ている」と。
だが,操子はそれでも父に命じられるままに茶をたてた。
「操子は,またあの若槻に茶を出したのか。そんなことは女中がすればよいだろう」
兄に言われるとますます反発して,兄ではなく父の言いつけを聞くことで兄に小さな優越感を持った。

孝秀兄さまは,今,どうしているのだろうか。
五年間も行方不明のままの兄が,もし,操子が遊郭などというところにいることを知ったらどんなにか落胆し,嘆き,怒り,軽蔑するだろうと考えた。
だが,不思議と,そのようなことを想像しても悲しみの気持ちはどこからも湧いてこなかった。代わりに,自分が兄を負かしたような,勝ち誇ったような気持ちになった。
*****************
幼い日に何度も見た夢を思い出す。
虎穴に入らずんば虎子を得ず,と言って父が操子を穴に追いやり,そこに恐ろしい獣が近づいてくる夢。

ぞっとするほど怖い夢だったが,なぜか夢が覚めると寂しかった。
このような夢を見たことを誰にも知られてはいけないと思い,後ろめたさを感じた。
夢の内容など,誰に知られるはずもないのに,この夢を見た後は,兄や母と顔を合わせるのが憚られたのを思い出した。
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