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〜 夏の華 ショートストーリー集〜
第7章 人魚の涙
「…暁様…暁様…?」
月城は翌日の仕込みを終え、二階の居間に上がる。
…いない。

そこには美しい伴侶の白い花にも似た馨しい残り香が微かにあるのみだった。

…どちらに行かれたのか…。

暁は時々ふっと姿を消すことがある。
…行き先は分かっている。

月城は店の前の海辺に続く遊歩道をゆっくりと下った。


…街灯もない海辺は、その藍色のベルベットを広げたような夜空に浮かぶ月の光のみが頼りだ。
見渡して直ぐに、眼を止める。

…暁は、海に面した岩場に座っていた。

静かに近づき、声を掛ける。
「暁様…。お探ししましたよ」
暁は貌を上げ、無邪気に笑った。
「薫から手紙が来た。
暁人くんが無事に帰還したそうだ。良かった…!」
「ああ、それは何よりでしたね…」
月城も思わず笑顔になる。

薫の親友で、大紋の息子の暁人は海軍士官であった。
戦時中、戦死の報が齎され母の絢子は精神を病み、大紋は妻を連れ千葉の田舎に疎開した。
空襲がいよいよ激しくなる中、縣一家も軽井沢に疎開した。
だが薫は頑として松濤の屋敷から動こうとはしなかった。

…僕まで居なくなったら、暁人の帰るところが無くなるからです。
だから僕はここで暁人を待ち続けます。

戦後届いた手紙には、そう記されていた。

「…あの甘ったれで怖がりの薫がよく…」
暁は涙を零した。

その暁人が生還したのだ。
「大紋様ご夫妻もどんなにお喜びでしょう」
暁は頷いた。
そして俯いたまま、不意に月城に強く抱きついた。
「…月城…。死なないで…」
「暁様…」
「死なないで…ずっとそばにいて…」
月城は震える暁を静かに抱く。
「…はい。私はずっと暁様のおそばにおります」
「約束だよ…」
月の光に照らされた暁の美しい白い貌には透明な涙が滴り落ちていた。

海面に白く映る暁は、まるで幻想的な人魚のようだ。
その涙を指で払う。
月の雫のような涙は、海へと溶けて消えた。

「…貴方と私は永遠に一緒です…」
…そうだ…。
この命が尽きても、私の想いはいつまでもこの美しい方のそばを揺蕩い続けるに違いない…。

「…月城…」
永遠の約束のキスを、暁はねだる。

…月城は最愛の人に万感の思いを込めて、優しく口づける。
そして、その愛の言葉を囁いた。
「…愛しています…。永遠に…」
二人の口づけは、闇夜に甘く溶けていった…。

〜fin〜








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