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SS作品集
第9章 トラウマ
僕は初めて部長のお供をすることになった。
お供と言っても、勿論仕事。
ある会社との商談がまとまり、今日は高級なバーで打ち上げのようなものだと聞いている。
入社2年目の僕はその担当ではないが、今日は担当者が急な病欠。その代わりに、真面目そうだという理由だけで僕が選ばれたのだ。
高級店にも行ったことが無いし、少しだけラッキーだという思いもあった。服装は出勤時のスーツのままでいいし。
道すがら、部長と色々な話をしていた。
「昆虫ですか? 僕は虫が嫌いなんです。幼稚園の時の、最初のトラウマです」
あの時は本当に気持ち悪かった。それ以来、出来るだけ木の下は歩かないようにしている。
勿論部長と一緒だから乗れるタクシーを降りると、豪華な佇まいが目立つ店に着いた。
無駄に派手な装飾などは無く、高級感を漂わせている。
僕ひとりではとても入れるような店じゃない。
中へ入ると、店内はテレビで観たことのある高級店そのもの。
大きなシャンデリアに、毛足の長い絨毯。壁には間接照明があり、背もたれの高いボックス席だけ。
部長が何かウエイターに話すと、僕達は奥のボックス席へ案内された。
「こんばんは。今日は担当が病欠で、新人を連れて来たんですよ」
ボックス席には、ガタイのいい高級そうなスーツを着たふたりの男性が座っている。その横にはこの店のホステスがふたりが座っていて、露出は高いが品のいいドレス。
僕はきちんと挨拶をしてから、端の席に座った。
乾杯をしてから部長が商談相手や女性達と雑談をしている。
僕達のためにもふたりの女性が来ているから総勢八人。
ブランデーの水割りが少なくなるとすぐに女性が、あざやかとも言える手さばきで作ってくれる。
僕は酒に強い方だから、部長達の話を聞きながら飲み続けていた。
「君、野球は好きかい? 内野の指定席のチケットが数枚あるんだけど、都合で誰も行けなくてね」
山野(やまの)という40過ぎの人が話しかけてくる。
「僕は野球が大嫌いです。小学校1年生の時にキャッチボールをしていて、思い切り顔に当たったんです。それがトラウマになって、それからは観るのも大嫌いです」