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SS作品集
第18章 セールスマン
僕は一軒の家の前へ立ち、その建物を眺めた。
いかにも金持ちそうな佇まいだ。
ここなら、商品を買ってくれるかもしれない。
僕が売っているのは、普通の会社員のランチ一回分の値段のもの。それくらいならと、殆どの人が試しに買ってくれる。
騙す気はないが、騙されたとしても諦めがつく値段だ。実際に、実用性もある。
勤める会社自体は無名の子会社だが、親会社は大手。どこかの店舗で買えば、倍くらいの値段になる。
全く同じ物を僕から買えば安いんだから、文句はないだろう。
立派な木製の門構えだが、インターフォンは無い。
ゆっくりと門を開き、見えない中を伺いながら中へ入った。
番犬でもいたら堪らない。
僕は犬が苦手だが、もしもの時用にエサを持ち歩いている。
だが、その必要は無かった。
数メートル先にはまた門。
そこにあったインターフォンを押す。
《はい》
少しして、優しげな女性の声。
「わたくし、TS社の者です。MR社の子会社なので、その有名商品が格安なんです。まずは、見て頂けませんか?」
《どうぞ。お入りください》
それだけでインターフォンは切れた。
取り敢えず、見てもらうだけでもいい。後は僕のセールストークにかかっている。
この商品がどれだけ素晴らしいか有名か。しつこくないように力説すればいいだけ。
話を聞いてもらえれば、自信はある。
商品は本当にいいもので、保証だってきちんと付いている。アフターケアも万全。
自宅でも使っているが、妻も喜んでくれている。
二つ目の門を押すと、簡単に開いた。
中は立派な庭。今時珍しい日本庭園の造りになっている。
姿勢を正して歩き出す。
黒っぽい飛び石に足を掛けた時、それが地面へめり込んだ。
僕が重いわけじゃない。男性にしては軽い方なのに。
めり込んだ場所には泥水。
スーツの膝の辺りまで、泥に使ってしまった。
ハンカチで出来るだけ綺麗にして、溜息をついてから先へ進む。
また少し歩くと、小川に架かる橋。小川には、大きな錦鯉が泳いでいる。
形よく手入れされた木々があり、景色は本当に見事。