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SS作品集
第29章 手帳
「パパっ、起きてよっ」
僕はその声で目を覚ました。
娘がベッドに乗り、僕の体を揺らしている。
「おはよう……。ちょっと待ちなさい」
娘を降ろしてベッドから出ると、タンスの中から手帳を出した。
娘の名前は香菜(かな)。今は六歳だ。子供はもう一人いて、八歳の伸弥(しんや)。
僕は37歳で、宅配業者のドライバー。
こうやって毎日確認しないと、僕が今どこにいるのか分からない。
記憶はきちんとあった。
でも、どれくらいこんな生活が続いているだろう。
朝起きると、別の人生。それは一日だったり、長いと半年だったり。
過去や未来も行ったり来たりしている。
明治時代の時もあり、それから千年後の時も。
ある所で僕は28歳だったり、42歳だったりもするのは困りものだ。
その年齢や、時代に合った話し方をしなければならない。
娘へ使った話し方は、昨日までいた世界で僕が50歳だったから。
職業も違う。
科学研究院だったり、教師をしていたり。時には路上生活者だったりと、何の脈略もない。
ただ、どんな状況でも手帳だけはある。
「こら、やめなさいっ!」
娘に手帳を取られ、つい怒鳴りつけてしまった。
僕の声を聞いた娘が泣き出し、妻がやって来る。
「どうしたの? 泣くまで怒らなくても……。香菜、パパは疲れてるんだから。後で遊んでもらいましょうね」
妻が娘を抱き上げると、その手から手帳が落ちた。
この世界に来たのは一年振りだろうか。
手帳を拾いながら考える。
そんなに会っていない妻や子供に、正直愛情は持てない。
何故か、結婚した時や子供が生まれた記憶だけはある。でもそれは複数あり、時に混乱する。
だからこそ手帳が必要で大事なものだった。
もう一度手帳を見直すと、この世界はやはり一年振り。以前来た時の年月日が書いてあり、部屋のカレンダーと見比べて分かった。
いつの間にか元号が変っていたが、カレンダーには西暦の表記もある。
今度はそれを手帳に書き込み、タンスへ戻した。
今回はどれくらいここにいるのだろう。それは僕にも分からない。