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蘇州の夜啼鳥
第1章 ランタンの月
ホテルの車寄せに着いた片岡は、一緒に降りようとする暁蕾を制した。
「このままこのタクシーで君の家まで帰りなさい。
…帰りのタクシー代だ。
釣りはいらない」
5、6枚の100元札を無造作に運転手に押し付けた片岡に驚き、暁蕾は慌てて降りようとドアを開けた。
「そんなの必要ないわ。
私はここから歩いて帰ります」
「…そんな色っぽい格好をした美女に、夜の街を無防備に歩かせるほど俺は無神経じゃないよ。
…日本のおじさんだけどね」
目配せして笑う。
暁蕾は大きな美しい瞳を見開いた。
「ミスター…」
…そして、
「…ありがとうございます」
小さな声だがきちんと礼を言った。

「明日は何時に?」
「10時にホテルのロビーにお迎えにあがります。
明日はあちこち歩きますから軽装で…。
朝晩は冷えますから、暖かな上着をお持ちください」
てきぱきと頼もしいプロのガイドぶりが感じられる口調で続けた。
「分かった。楽しみにしているよ」
…片岡は微笑みながら、右手を差し伸べた。

拒否されるかと思ったが、ぎこちなく暁蕾の白く美しい手がそっと握り返してきた。
…温かな…柔らかな手だった。
すぐに離し、片岡は手を挙げた。
「おやすみ、シャオレイ」
暁蕾は形の良い唇をつんと尖らせた。
「…やっぱりアクセントが変だわ」
しかし、ミス・祭と呼べとは言わなかった。

…ドアが閉まり、タクシーは流れるように片岡の前から走り去った。

片岡はその橙色のテールランプが見えなくなってもなお、見送り続けた。
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