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夜明けまでのセレナーデ
第10章 僕の運命のひと
「十市は生きている。
あの男が僕を置いて勝手に死ぬはずがない」
きっぱりと…一点の疑いも何もないような返答だった。
「…紳一郎さん…」
紳一郎は直したばかりの蓄音機に近づくと、レコードに針を落とした。

…静かに流れ始めるのは、ヨハン・シュトラウス…。
美しき蒼きドナウだ…。

紳一郎がやや芝居掛かった仕草で恭しく胸に手を当てる。
「…踊ってくれないか?薫…」
「…え?」
戸惑っている薫の手を強引に引き寄せられた。
「…夜会が中止になって、ワルツを踊り損ねた。
お前のせいなんだからな」
にやりと笑い、見下ろされる。
「…はあ…。…すみません…」

紳一郎のリードは巧みだった。
まるで翼が生えたかのように、軽やかにターンができる。
「…紳一郎さん、ワルツがお上手ですね」
「ありがとう。…女と踊るのは嫌いだけれどワルツは好きだ」
綺麗な貌で毒を吐く。
思わず吹き出す。
「ワルツを踊るのは十市だけと決めていたんだ。
…お前は…特別だぞ?
ありがたく思え」
「偉そうだなあ…、相変わらず…」
口を尖らせると、紳一郎の思いのほか、甘い眼差しと視線が合う。

…かつて…紳一郎と交わした阿片のように毒入りの甘やかな淫夢のような戯れを思い出す…。

「…紳一郎さん…」
「…薫は…可愛いな…」
にっこり笑う紳一郎の表情には、疚しさは一切なく、温かな慈しみに似た色があるだけだ。

…それを少し残念に思う自分を慌てて振り払い、口を開く。

「…紳一郎さん。もし、十市さんが帰ってきたら何がしたいですか?」
「セックス」
「へ?」
「決まっているだろう。愚問だ。プペちゃん」
子供扱いされ、膨れっ面をした薫を紳一郎は高らかに笑った。
「…嘘だよ。
十市が帰ってきたら僕は…」

…その時、礼拝堂の入り口の重厚な扉の軋む音が、微かに響いた。

二人のステップが、止まる。
紳一郎が、振り返る。

開かれた扉の奥に、逆光に照らされた大柄な男のシルエットが浮かび上がる。

…紳一郎の切れ長の美しい瞳が大きく見開かれた。
薄紅色の形の良い唇が、細かく震えた。

「…と…いち…」


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