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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第4章 Valet & Earl 〜従者と伯爵〜
…二人は船首の甲板に立ち、夜の海を見つめた。
不思議なものだ。
隣にこの男がいるだけで、先程までの深い海の底に取り残されたような暗い孤独感が失せていた。
思えば、こうして北白川伯爵と二人きりで時間を過ごすことは初めてだった。
パリでは伯爵は公私共に多忙だったし、常に彼の周りには沢山の人間が取り巻いていたからだ。
…二人きりで海を眺めていると、この世で自分と伯爵以外は誰もいないような錯覚に陥る。
そうしてそれは、狭霧に甘美な感情を齎した。

暫くして、伯爵が静かに呟いた。

「…君が、本当は日本に帰りたくないんじゃないかと思ってね」
「…え?」
「…日本に帰れば、色々と思い出すだろう。
ご実家のことや…特に和彦くんのことを…」
「…ああ…」
そんなことを、気にしてくれていたのか…。
狭霧は伯爵の心の温かさに、また触れたのだ。
「…日本に帰らなくても、和彦のことはいつも思い出しています…。
…和彦とはいつも、一緒です。
だから、大丈夫です」
無意識に胸のロケットをそっと抑える。

その様を、伯爵はじっと見つめる。
…彼はすべてを察しているようだった。

「…そう…。
それなら良かった…」

呟くように言い、やがて夜天に輝く金色の月を美しい手で指差した。
「…君は海に映る月の道を知っているかね?」
「…海に映る月の道?
知りません」
初めて聴いた。

「…月に1度か2度…いや、もっと稀もしれないな。
満月の前後…しかも天候の良い日だけ見ることができる『月の道』がある。
海から月が昇りはじめると、月光が海に映り、細長い金色の光の道が海面に現れるのだよ。
…満月の夜に月の光と静寂な海が織りなす夢のように美しい『月の道』…。
その海に映る月の道を共に見た者は、永遠に結ばれるのだそうだ…」

狭霧は微笑んだ。
「へえ…。貴方好みのロマンティックなお話ですね」
伯爵はにっこりと高貴な美貌を綻ばせた。
「私は筋金入りのロマンティストなのだよ」

「…で?
旦那様はもうどなたかとご覧になったのですか?」
狭霧はふと考える。
…亡くなった奥様と…かな。

「いいや。まだだ」
…けれど、もし見られるのならば…
潮風が男の囁き声を運ぶ。

伯爵はゆっくりと狭霧を振り返る。
夜間飛行が微かに薫る。

「…君と見たいと思っている」






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